14. 試合

 任官試験を終えて正式に中尉の階級を得たラングは、近衛隊での軍務を開始することとなった。近衛隊長のゲーリング卿ニルスに呼び出されて執務室に赴くと、ニルスは足を机の上に投げ出したまま、椅子の背もたれを揺らせて「よう」と片手を上げた。あっけにとられて直立したままのラングを上から下まで眺めまわすと、ニルスは足をおろし、「ふむ」と頷いて机の上に肘をついた。
「別に不細工というわけではないんだな」
「はあ……?」
 やはり近衛で仕事をするには容姿が必要なのだろうか。それにしてはこの行儀の悪い隊長からはそれらしき雰囲気が感じられない。
「儀仗に使える容姿の奴がいないとボヤいたらタッシェンの奴が伝説のアレにそっくりの奴が参騎にいるというから近衛に寄越せと言ったんだ。普通その流れなら例外なく美しい容姿を誇ったという伝説の翼種の話だと思うじゃないか? それが伝説違いとは詐欺もいいとこだ」
「はあ……」
「なんだ? 覇気のない奴だな。まあ、座れよ」
「はい」
 ラングが応接用の長椅子に腰かけると、ニルスも執務机の椅子から立ち上がり、ラングの向かいに腰かけた。
「申し遅れたが、俺が近衛連隊長のニルスだ。傭兵あがりだから近衛らしからぬところもあると思うが真似はしないでくれ」
「リティヒのマーセル・ラングと申します。以後よろしくご指導ご鞭撻のほど……」
「ああ、そういう堅苦しいのもなしだ。儀礼・祭典になれば俺らは嫌でも皇宮で一番堅苦しい役回りを振られるんだ。普段くらい力を抜いておけ」
「はい……」
「お前の階級は中尉だが、近衛では全員が中尉だから上官部下の関係もない。任務上の指示には従ってもらうがそれ以外は言葉遣いも普通でいいぞ」
「……わかりました」
 ニルスは眉間に皺を寄せると若者のように短く刈った頭と髭を生やした顎を順にボリボリと掻いた。
「あんま分かってなさそうだが……まあいいや。お前には第一中隊の第一小隊に入ってもらう。第一中隊長と第一小隊長を兼任しているのがミハエルつー男だが、そいつとバディを組め」
「中隊長と小官が……ですか」
「まあ、新人教育係みたいなもんだ。ユーベル陛下がクーダムに来られる前からクーダムにいた奴だからクーダムに詳しいし、恐ろしく剣の腕も立つ。四六時中側にいれば勉強になるだろうよ。……おい、ミハエル、入ってこい」
 ニルスが声をかけた奥の部屋の扉から現れた男を見て、ラングは面食らった。謁見式の際、最も陛下に近い位置を守っていた並外れて優れた容姿の近衛兵だったからだ。今日は礼装ではなくラングと同じ近衛の制服だが、あの時感じた華やかな雰囲気は少しも損なわれていない。男はラングの脇に立つと二コリと微笑んだ。
「ミハエル・シュミット近衛連隊第一中隊長だ。よろしく」
 ラングはとっさに立ち上がり、踵を合わせようとして思いとどまった。
「……よろしく」
 ラングが言い終わらないうちにミハエルは無遠慮にラングの瞳を覗きこみ、相好を崩した。
「なんてきれいな瞳なんだ!」
「……はい?」
 ニルスはやれやれとため息をつきながら眉間を押さえている。
「ねえ、ゲーリング卿。見たでしょう、この漆黒の瞳! それにつややかな肌。……なあ、ラング、髪の毛に触っても?」
 うっとりと女のように見つめてくる視線から逃げ出し、助けを求めるようにニルスを振り返ったが、ニルスは力なく首を振った。
「まあ、その、なんだ。そのうち慣れる。頼んだぞ」
 普通ミハエルがラングを頼まれるのではないのだろうか。ラングがこの男とバディを組まされるのはラングへの配慮などではなく、誰もミハエルと組みたがらないからなのだと悟ってラングは肩を落とした。
「そんなに気落ちすることはないさ。皇宮じゃ男色専門の貴族も珍しくないんだ。俺はただ綺麗なものなら性別を問わない主義なだけで、可愛い方だよ」
 満面の笑みでラングの肩を叩くミハエルの頭をニルスが横から書類の束で叩いた。
「アホか。そんなことを教えさせるためにこいつをお前に付けたんじゃないぞ」
 ミハエルが顔を上げると、その口元にゆっくりと悪戯っぽい笑みが広がっていった。
「……じゃあ、新人教育係らしく、ラングの剣術のレベルでもテストしましょうか?」

 兵舎の中庭に出ると、ミハエルは上着を脱いで木の枝にかけ、シャツの袖を折り返し始めた。ラングもそれに倣い、上着を木にかけて袖をまくった。
 しばらくすると年端もいかない少年がニルスと一緒に中庭に入ってきて、ミハエルに剣を差し出した。ミハエルは受け取った剣を抜いて刃を横にしたり縦にしたりしながら検分した。少年は不安そうにミハエルの顔色を窺っていたが、ミハエルが頷いて少年の頭をなでると頬を紅潮させて一礼し、ニルスの方へ駆けもどって行った。
 ニルスの周りには、どこから噂を聞きつけたのか、近衛の制服を身にまとった兵たちがバラバラと集まってきていた。
 先ほどの少年の畏れの入り混じった憧れ振りといい、たかが新人の実力試験に集まる見物人の人数と言い、ミハエルが容姿だけで近衛にとりたてられているのではなく、本当にニルスの言った通り「腕も恐ろしく立つ」のであろうことが分かった。
「ラング、受け取れ」
 無造作に放り投げられた剣が放物線を描くのを知覚すると同時に、左手で鞘をつかんで受け取る。抜いてみると、模擬戦用に刃はなまらせてあるようだった。
「練習用だ。とはいえまともに入れば死ぬことも有り得るから気をつけろよ」
 髪の毛を器用に結い上げながら片目を瞑って見せるミハエルにラングは頷いた。ラングとミハエルは準備が終わると中庭の中央に進み出て、お互いの踏み込み幅程度の距離を空けて向かい合った。
「抜け」
 剣を抜いて鞘を放り投げると、ミハエルのまとう空気がピンとさえわたったのがわかった。見物人から「ハンデなしかよ、おい」という囁きが聞こえてくる。ラングも息を吐き、目の前の勝負に集中する。二人は一礼した後、抜き身の剣を前に差し出し、お互いの剣を膝のあたりで軽く交差させて打ち鳴らした。
 ミハエルは剣を中段で横ざまに構え、ラングは耳の横あたりで突剣のように構えた。ミハエルはそれを見て少し微笑み、さらに気迫の増した眼差しでラングを見据えてきた。
「優雅に踊れよ」
と、その姿が消え、目の前に剣先が迫った。
「くっ」
 とっさに身をのけ反らせて避ける。ラングは二撃目に備えて後ずさりながら、ミハエルが横ざまの構えからわざわざ突きを繰り出してきたことに感心した。ミハエルの構えならそのままなぎ払うように攻撃するのが一番初動が早くなる。にも拘らず突きを選択したのはラングの戦型に対する一種の挨拶のようなものであり、さらにそれでもラングの不意をつけるスピードを主張しようとしたのだろう。
 ラングを追って右肩から踏み込んだミハエルがその勢いで剣を振り下ろす。ラングは一撃目に崩しかけた体制を前に戻しながらミハエルの攻撃を剣でうけとめ、そのまま立ちあがってなぎ払った。ミハエルは剣の払われた方向に飛びあがると、そのまま空中でひらりと身をひるがえして近くの木の幹を蹴った。
 蹴られた木から衝撃で舞い落ちる木の葉の中を突っ切ってラングの懐まで飛び込もうとするミハエルを、ラングは同じく跳躍でかわした。ただし跳躍は控えめにし、ミハエルの着地点を狙って攻撃を入れる。ミハエルの後頭部にラングの剣がめり込むかと思われた瞬間、ミハエルがくるりと身を翻し、背中を大きくのけぞらせた体制のままラングの剣を受け止めた。見物人の歓声とミハエルの得意げな笑みから跳躍攻撃の着地点での隙はこの見世物のための撒き餌だったのだとラングは悟った。
「怒ったかい? なら、本気を見せてご覧」
 ミハエルは打ち合わせた剣を支点にしてひらりと飛び上がり、くるりと回って優雅に着地した。ラングは息を吐き、再度構えなおす。ミハエルが構えをとったのを確認すると、ラングは土を蹴った。真正面からの打ち込みに、ミハエルも真正面で受け返した。間髪をいれず連打を打ち込むが、ミハエルは涼しい顔でそれを受けている。ラングとそれほど体格差があるわけではないし、先ほどの身のこなしの素早さから言って、腕力はそれほどではないのではないかと考えたが、どうやら力で押し切るのも無理そうである。
 ミハエルの後方でニルスが腕を組んでニヤニヤと笑っている。見物人はさらに増えたようで、時折けしかける言葉や野次が飛んできた。剣を持ってきた少年は悲壮な顔をして試合の行方を凝視している。
 ラングは視線を外してフェイントをかけると素早くミハエルの左手に周り込んだ。ミハエルがすかさず剣を水平に振るのをしゃがみ込んでかわし、そのまま剣を突き上げる。剣はミハエルのわきの下を掠めて空を斬った。ミハエルはラングの腿を掠めて剣を真下に振りおろし、地面に突き立てた。ラングが跳躍で避けようとしたのと同時に、ミハエルは突き立てた剣を支えに倒立する形で舞い上がり、それを空中で捉えようと剣を振り下ろしたラングの剣に下から掬い上げるような剣で応えた。空中で散った剣戟の火花に見物人は歓声を上げ、ラングは弾き飛ばされて体勢を立て直しながら片膝をついて着地した。と、後頭部に軽くコン、という衝撃を受けた。背後にはミハエルが笑顔で立っており、剣先をラングの後頭部に突き付けている。
「……参った」
 ラングは片手を上げ、剣の柄頭をミハエルに差し出した。
 見物人は手を叩き、口笛を吹いて歓声を上げた。いつの間にか兵舎のメイドたちも中庭を通る渡り廊下から手を止めてこちらを眺めて黄色い歓声を上げており、それを見つけたメイド長にたしなめられていた。
 ラングとミハエルが剣を鞘におさめ、少年のもとへ持っていくと、隣に立っていたニルスが満足げに頷いた。
「なかなか面白い試合だったな。身体能力も技術面でもまだ未熟な面があるが、今後に期待できそうだ」
「……はい。ありがとうございます」
 ラングは頭を下げた。経過はともかく、最後のミハエルの動きは目で追うどころか読めもしなかった。完全なる敗北だ。
「まあ、そう気落ちするな。ミハエルには俺でも勝ったことがない」
「隊長よりも強いんですか?」
 ラングが驚いて声を上げると、ミハエルが袖を直しながら笑った。
「ゲーリング卿のは型が無茶苦茶なんだよ。だから公式な試合だとすぐペナルティを取られる。実戦だったら鞘で足払いされて顔面を剣の柄で殴られて、フラフラになったところを一気に切り刻まれるだろうな」
「いいんだよ、生き残れば。傭兵の世界じゃそう教わった」
 ニルスはボリボリと頭を掻き、
「まあ、でもお前は俺の真似はせず、ミハエルから学ぶといい。近衛が剣の試合で拳や蹴りを使っていたのでは恰好がつかん」
 ニルスの不満げな表情に笑い声をあげていたミハエルは思い出したように真顔になり、ラングを見た。
「学ぶといえばラング、お前どこで剣を学んだ?」
「どこって……リティヒでだ。候館に招いたライトが指導してくれた」
「そのライトの名は?」
 ラングは首をかしげた。たかが地方市国の従僕の習いごとの指導役など名前を聞いてもわかるまい。
「たしかグールド……グールド・グラスバーンとか言ったと思う」
 ほう、とニルスが片眉をあげた。ミハエルは納得がいかない表情で、
「だが、ラングの剣はどう見てもグラスバーンのものじゃない」
「確かに、クローネ流派とは似ても似つかないな」
「クローネ流派?」
「剣聖と言われたゲオルグ・クローネ……現在はザヴィーニの皇宮で剣術指南をやっているが、先帝とともに戦場では数え切れない兵をその剣の露としたという。彼の戦型に影響を受けたライトたちが作った体系がクローネ流派と呼ばれて、現在の大半のライトの剣術の礎となっているな」
「グラスバーンはその体系を作った一人で、第一人者だ。クローネ本人を除いてね!」
 ミハエルは吐き出すように言った。クローネという人物がお気に召さないらしい。
「クローネ流派なら構えは上段か中段で剣先は上に向ける。それにあのタイミングでの跳躍はない。あそこは右肩を引いて半ステップでかわすところだ」
「詳しいんだな。確かに構えはそう習った気がする」
「だれか、実戦を別に教えたものがいるだろう」
 ラングは口を閉じ、袖を直して上着を羽織った。顔を上げるとミハエルが促すような表情でラングを凝視していたので、ラングはため息をついた。
「……ああ。グールドには基礎を習ったが、ここ数年間は候館を出て、別の人間に師事していた」
「名前は?」
「なぜ名前が知りたい?」
「だって興味があるじゃないか。右を見ても左をみてもクローネ、クローネ。まともな剣を使う奴がクローネ以外にいるって言うのは、俺にとってはとても嬉しいことなんだ」
 ミハエルが顔がくっつきそうなほど近付いてきたのでラングは思わず後ずさった。
「……知らない」
「知らない?」
「いつも『師匠』と呼んでいたから、名前は知らないんだ」
「まさか」
「本当だ。悪いな」
「……いや。本当なら仕方ないさ。だが、機会があったらぜひ紹介してくれ。一度手合わせ願いたい」
 真剣な眼差しでラングの手を取りブンブンと振るミハエルの無邪気な様子に、ラングは気まり悪くなって目を伏せた。
「……ああ。機会があれば、な」
「約束だぞ!」

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