13. 晩餐会

 アルハイム大陸中を統べる支配者の宮殿であるにも関わらず、パラスト・ワイマールでは大規模な晩餐会が催されることは極めて稀である。参騎の着任記念の晩餐会はザヴィーニで開かれるものに比べればつつましやかではあったが、ここ最近のクーダムの中では指折りの規模の晩餐会であった。
 パラスト・ワイマールの大広間は四方を大きなタペストリーで飾られ、無数のランプで照らされた室内は昼間のように明るい。皇家専属の料理人が直々に準備を行った料理が次々と運び込まれ、上質のお仕着せに身を包んだ少年や少女が忙しく、しかし礼儀正しく動き回っていた。晩餐には参騎のみが出席し、皇帝ユーベルとともに食事を摂ったが、参騎の中には皇宮の晩餐の形式に慣れないものもいる。気兼ねなく食事ができるようにとの皇帝の配慮で型どおりの晩餐が終わった後は比較的ラフな形式のパーティーが準備されていた。食事は立食形式だが手抜きはない。香り高く焼き上げられた鳥肉には香辛料と果物で作ったソースが添えられ、野菜と豆を裏ごししたスープは冷めないように火にかけられ、調理師が見張っている。色とりどりの野菜は立食で食べやすいよう小さく切ってゼリー寄せにしてある。晩餐では避けられる種類の酒も振舞われる。晩餐で食事がのどに通らなかったものも、腹を空かせて眠りにつかなくて済むはずである。
 このパーティーには参騎だけでなく参騎が配属されるであろうクーダムの軍関係者やクーダムに駐留している参騎の出身市国の高官も出席した。その上、参騎とは何の関係もない貴族も大挙して押し寄せていた。というよりも、パーティーを楽しんでいるのは宮廷慣れしているそれら貴族達で、主賓である参騎達はせいぜい今後付き合いのありそうな軍関係者と挨拶をしたりする程度のものがほとんどであった。
 一度部屋に戻り服を改めたユーベルがヴェストの先導で広間に入り室内を見回すと、既に給仕たちが片づける速度が追い付かない程の酒の瓶が空けられており、最初は格式高い曲調の音楽を奏でていた楽団も陽気な曲に切り替えて、その周りを酔った貴族たちが羽目を外して踊っている。ユーベルは出席者が楽しんでいるのを確認して微笑むと、台座に用意された椅子に腰かけた。自分の入室は特に通達しないように言いつけておいたが、さすがに軍のものはユーベルに気づき、ユーベルの方に向き直ってその場で敬礼をとった。ヴェストとユーベルもそれに軽く応える。宴の雰囲気を壊さないよう、その場での敬礼にとどめた軍のものたちをユーベルは好ましく思った。その軍人たちの一団の中に参騎たちも混じっていたが、リティヒの参騎はそれには混じらずテラスで一人酒のグラスを傾けている。晩餐の際も特に緊張した様子も見られなかったから、食事はもう十分ということなのだろう。どうやら他の市国のように自国の参騎を各所に連れまわして顔を売ろうと世話を焼く駐留貴族もいないようだ。改めて思い返してみると、リティヒの貴族で皇宮に出仕しているものが誰だったかほとんど思い出せない。クーダムに限らず、ザヴィーニでもそうだった。リティヒ自体あまり大きな市国ではなく、貴族も多いわけではない。しかし、それにしても皇宮に一人もいないということはあり得ない。彼らは極力、自分がリティヒの者であることを印象付けないように振舞っているのだ。
「陛下!」 
 声をかけられてユーベルが振り向くとリポック卿ガルが料理が山盛りに乗った皿を片手に満面の笑みを浮かべていた。その後ろに、ライトの出仕服を早速身に付けたグレイが仏頂面で立っている。この男も軍には用がないらしい。
 兄のグレイは晩餐に出席していたが、ガルは参騎ではないから参加していない。ここぞとばかりに料理を皿に集めて回ったと見える。ようやく伸び始めた背にブラシェを合わせると大人びて見えたが、撫でつけていたはずの砂色の頭髪が既に乱れて顔にかかっている上、口の周りにはうっすらと料理のソースが拭い切れずに残っている。やはり、以前のままの気心知れたガルに違いない。
「リポック卿!」
 ユーベルも相好を崩し、台座から駆け降りてガルの皿を持っていない方の手をとった。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「はい、ご無沙汰してしまい、申し訳ありません」
「とんでもない! 宮廷に出仕していただく件、無理を申しあげてすみませんでした」
 ユーベルはリポック卿ガルを何年も前から宮廷に招聘していたが、彼の返答は常に「デッセンの工房を離れるわけにはいかない」の一点張りであった。軍備でも都市機構でもザヴィーニに後れを取っているクーダムを早くザヴィーニに追い付かせるためにはガルの力が欠かせない。ユーベルも、何度断られようと諦めるわけにはいかなかった。もちろん、単純に年の近い話し相手が欲しかったというのもある。ガルほどユーベルに対して物怖じなく話をし、しかもユーベルの知的好奇心を満足させるような話題を提供できる人物は多くはない。
「いや、これまで俺が我儘を言っていたのがそもそも失礼だったんですから、気にしないでください。これからはいつでも陛下のところに参上して、幾らでもお話ができますよ!」
「はい、楽しみです。……あっ、そういえば人工的に絹を作る技術が完成したとか?」
「さすが耳が早いですね、陛下! 残念ながら絹に似てはいますが、風合いは数段劣ります。しかし、量産化の暁にはこれまでよりずっと安価な衣料品が製造できます」
「風合いですか……。やはり微視的な繊維の方向性が自然のものとは異なるのでしょうか」
「そうですね。どちらも引き延ばして糸にする工程で、自然と向きが揃うのですが、人口のものは向きが揃いにくい性質があるのだと思います。今のところ、それは繊維の表面の電気的な性質の違いに起因していると見て、原料にいろいろな薬品を少量づつ混ぜて性質を調査しているところです。風合いについても、近々改善されると思いますよ」
「へえ! 強度は自然のものと比べてどうですか?」
「ものによります。現在絹に似たタイプのものだけでも数種類あるのですが、風合いは良いが強度が弱いもの、風合いはあまり絹に似ていないが強度は強いもの、その中間などがあります。絹よりもずっと強い強度のものもあります」
「なるほど。皇宮で使用する布地も、消耗の激しいものは人工繊維に替えてみようかしら」
「それはいい考えです! 宮廷で使用されているとなれば城下の人々もきっと競って使用しますよ!」
 ガルは目を輝かせたが、そのやり取りを後ろで腕を組んで聞いていたガルの兄グレイは、不機嫌な顔も声も隠さなかった。参騎になる以前からグレイとは何度か謁見したことがある。もちろんマイラを持っている弟とは違い、自由に皇宮に出入りできるわけではないので、常にガルと一緒にやって来るのだが、彼が機嫌よくしているところをユーベルは一度も見たことがない。噂によれば娼婦から貴婦人までありとあらゆる女性が彼の虜になるというが、彼が女性と一緒にいる時もこのように不機嫌な様子なのか、ぜひ見てみたいと思う。
「そんなもの、宮廷のジジイどもが許可すると思うか? 安っぽいだの皇家の威信がどうだのと言い出すぞ」
 その言葉に同意したのは意外なことに側に控えていたヴェストであった。ヴェストはグレイの能力は認めながらも彼の人格は全否定と言っていいほど目の敵にしていた。理由は皇帝であるユーベルに対する態度がけしからんからだと言うが、ユーベルが幼い頃は父ギルベルトや叔父ライマーに盾突いては生意気な若造よと笑われていたヴェストが今や逆の立場でそのようなことを言っているのが可笑しくて仕方がない。
「そうした反発は容易に推測できるな。しかし、そこは押し通すしかなかろう」
「閣下と意見が一致するとは珍しいですね」
 皮肉な口調は崩さないながらも、グレイが少々意外そうに片眉を上げた。
「材料工学はすべての技術に通じる重要な技術。積極的に支援していかねばザヴィーニに先を越され死活問題となる」
「では、デッセンから技術者や原料ごとじゃんじゃん運び込みましょう」
 ガルの屈託のない言葉に、その場の全員が目を見張った。
「じゃんじゃん……ですか。それはいいですが、近頃はプラッツの盗賊のおかげで輸送もままなりません。もし技術者が殺されでもしたら……」
「大三角線を使えばいいんですよ」
 大三角線は先帝ギルベルトの時代に建設されたデッセン、ザヴィーニ、クーダムを結ぶアルハイム初の鉄道である。尤も、すべて開通しているのは最も距離の近いデッセンとクーダム間のみで、デッセンーザヴィーニ間とクーダムーザヴィーニ間は完成を待たず先帝が逝去してしまい、工事が停止している。
「幸い、デッセンとクーダムの間の線路はすべてクーダム側の市国を通っています。線路を破壊されたり列車が盗賊に襲われないよう、各市国に協力させればいいんです」
 ガルの言葉にユーベルとヴェストはなるほど、と頷いた。
「確かに、検討する価値がありそうです。これまで各市国の立ち位置が曖昧で、列車も運行を止めていましたが、今なら大っぴらに各市国に線路を守らせることができます」
 ユーベルがヴェストを見上げると、ヴェストは黙って頷いた。今夜中か明日にでもヴェストと相談して手はずを整えようとユーベルは思った。
 ちょうどその時ヴェストの秘書官のサイオンが入室してきてヴェストの側にやってきた。それを見たガルとグレイが礼をとって立ち去ろうとするのを呼び止め、ユーベルは二人にサイオンを紹介した。サイオンは確かガルと同じ年だ。これから皇宮で暮らしていく上で同年代の知り合いがいたほうが何かと心強いだろう。
「知っています。宮廷学校を二年短縮で卒業されたんですよね? その能力の高さをヴェスト閣下が買われて取り立てていらっしゃるとか」
 ガルの言葉にサイオンはちらりと視線をやると黙って一礼した。ヴェストとユーベルは思わず苦笑いをする。サイオンはもとはと言えばユーベルが側に置きたいと駄々をこねたのを、皇帝が個人的にジャンフェン人を厚遇したのでは障りがあると渋々ヴェストが自分の推薦ということにしたのだ。
 ガルの褒め言葉にも顔色一つ変えないサイオンに、グレイは不服そうに顔をしかめた。
「なんだ、愛想のないガキだな」
「人のこと言えるのかよ」
 ガルも苦笑して、ほとんど歳の変わらないサイオンに礼を返す。
「ガル・リポックです。本日から皇宮で働くことになりました。何かとお世話になることもあるかと思いますので、その時はよろしくお願いします」
「……よろしく」
 サイオンは再び短く礼をしただけで、物言いたげに黒い瞳でユーベルを見やった。意図を汲んだリポック兄弟は一礼するとすっとその場を辞した。
 ユーベルはガルともっと喋りたかったと思いながらサイオンに向き直った。
「何か分かったのですか」
「……はい、例の噂の流出経路ですが、やはり兵站総監管理の台帳に第三者が接触した形跡は確認できませんでした」
「……そうですか」
 ユーベルはため息をついた。
 参騎に皇家の宝物を持参させるという噂は根も葉もないものではなく、ユーベルの仕込んだものだ。
 近頃軍の輸送隊が大規模な武器の輸送を行う時を狙い澄ましたように盗賊の襲撃があることから、ユーベルとヴェストは皇宮内部に間諜がいるのではないかと疑っていた。ユーベルがクーダムに来たことにより、元からクーダムで幅を利かせていた貴族の中には良い思いをしたものもいれば割を食ったものもいる。良い思いをしなかった貴族の中にはザヴィーニに直接加担しないまでも、内部情報を外に漏らすなどの反発をするものがいてもおかしくはないとは思っていた。しかし、軍の輸送隊の情報となれば、元締めは兵站総監のザイネシュタット卿である。ザイネシュタット卿は官吏の間では女クルツリンガー卿と渾名されるほどの能吏で、内部情報を易々と外に持ち出されたまま手をこまねいているような人物ではない。かといって彼女自身が情報を持ち出している可能性はなおさら低い。ザイネシュタット伯はヴェストもユーベルも古くからの知り合いで、ザヴィーニの本山たるライマー公を義理の叔父に持ちながら、わざわざクーダムまで家出してきて協力を申し出てくれた、ユーベルの最も信頼する官の一人なのである。
 しかし、今回意図的にザイネシュタット伯の手元の帳簿にのみ残るよう、参騎からの受領物資として「皇家宝物」の語句を書き加えた。ザイネシュタット伯から部下に渡るときにはそれは「軍用物資」に分類され、詳細は残らないはずであるから、「参騎が皇家の宝物を持ってくる」という情報が外部に漏れるとすれば、ザイネシュタット伯から以外あり得ないのである。
 謁見の際にリティヒの参騎が伝えた盗賊の様子から言って、彼らは単に風説を頼りに襲撃を行っているのではなく、確かな情報提供者を持っているのは疑いない。それは、ザイネシュタット伯本人か、あるいは彼女からそう遠くない人間の筈だ。
「……しかし仮に彼女が間諜であったとして、そのようにわかりやすいミスを犯すとも思えないのが少々気にかかる」
 顎に手を当てて呟いたヴェストにユーベルも全面的に賛成であった。彼女がそのようなことをするはずがないという主観をさておくとしても、彼女の聡明さは否定できない。明らかに自分に嫌疑がかかると分かっていることをするだろうか。ただでさえ、ザヴィーニの有力貴族を父に、ライマー公を叔父に持つことで、以前は何かと他の官や貴族に本当はザヴィーニの味方なのではと陰口を叩かれていた。ようやく近頃は彼女のクーダムへの貢献ぶりが評価されてそのような陰口を叩くものもなくなってきたというのに。
「ザイネシュタット伯を召喚しますか」
 サイオンは広間を見回したが、ザイネシュタット伯の姿はなかった。彼女は近頃舞踏会や晩餐会にもあまり顔を出さなくなっているのだ。かつてザヴィーニきっての名門貴族の令嬢として社交界に見せていた面影はユーベルの中で次第に朧になっていた。
 ユーベルは長い沈黙の後、力なく首を振った。
「もう少し様子を見ましょう。もし、彼女の付近に真の犯人がいた場合、感づかれて逃げられる恐れがあります」
 サイオンは再び無言で頭を下げた。
 ヴェストが下がって良いと手を振って示すと、サイオンは一瞬物言いたげにユーベルを見たが、すぐに踵を返した。丁度、楽団の前に神殿楽師のヒミコが楽器を抱えて腰を降ろし、弦を爪弾きはじめたのと同時だった。まるで愛しい人をかき抱くように楽器ににしなだれかかりながら、顔立ちと同様女と見紛うほっそりした指で弦を爪弾く彼の様子は聖職者とは思えない色気がある。
 調弦の音律はぽつり、ぽつりと北の国の音階を奏でた。一昔前、まだジャンフェンとの停戦協定が有効であったころ、ザヴィーニの宮廷では毎晩のようにジャンフェンの曲が奏でられていた。当時を思い出したのか、先ほどまで無秩序に騒いでいた貴族たちも動きを止め、切れ切れに広間を満たす弦の震えに耳を傾けた。音楽に興味のないサイオンも故国の香りのする音に退出しかけていた足を止め、ヒミコを振り返った。
 調弦を終えるとヒミコは祈るように眼を閉じ、おもむろに曲を奏ではじめた。大人しい旋律だが、内に秘めた感情を感じさせる異国情緒あふれる曲。ザヴィーニでは舞踏会の序盤に好んで演奏され、初々しい男女が手を取り合ってぎこちなく踊っていた。
「僕が初めて公式な舞踏会で踊ったのもこの曲でした」
 父と叔父に焚きつけられ、ザイネシュタット伯爵令嬢にダンスを申し込まされた。当時から派手嫌い、舞踏会嫌いで通っていた彼女が、快く承諾してくれたことに舞い上がり、必死でステップを踏んだ。
 ヴェストはユーベルを見下ろし、静かに頷いた。
「陛下」
「まるで、あの夜が百年も昔のことのように思えます」
「……私もあの夜初めてイエナ嬢と言葉を交わしました。後日、生涯ユーベル殿下にお仕えするかと問うと、彼女は何があってもユーベル殿下のお味方をする、自分のすべてを捧げる、と自分の指の腹を食い破り、血判でも血の署名でも誓ってみせると息巻きました。……もしあの言葉が、あの真摯な眼差しが空言であったなら、私は彼女を絶対に許しません。断頭台の露にしても収まらないでしょう」
 無表情ながら彼にしては珍しく一気にまくし立てたヴェストにユーベルはようやく微笑みを取り戻し、忍び笑いを漏らした。
「素直に彼女を信じると仰ってはいかがですか?」
「感情論で解決する問題とは思えません」
 ヴェストはあからさまに気分を害した様子で、音を立てて官服を翻した。
「もう宴は良いでしょう。執務室で先ほどの件を詰めましょう」
「はい」
 ユーベルが足のつかない椅子から飛び降りると、ヴェストはユーベルの歩幅などお構いなしに広間の出口へとスタスタと去っていく。ヴェストが自分の歩幅の大きさを自覚していないのは昔からのことだが、機嫌が悪いときは特に大股で歩く癖があった。ユーベルは小走りでそれを追いかけながら、すれ違いざまサイオンに片目を瞑って見せた。サイオンはため息をつき、重い足取りでユーベルの後につき従って歩き出した。

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