11. 伝説

 ゲーリング卿ニルスは疲れていた。あのクソお可愛らしい皇帝陛下が突如参騎召集などしてくれたおかげで、登城した参騎の逗留する宮殿の警護、謁見式・叙任式・晩餐会、おまけに野次馬対策とイレギュラーな仕事が山ほど湧き出した上に、その期日が一週間後である。今でこそ伯爵などという爵位が名前にくっついてはいるが、もともと傭兵上がりで頭脳労働は得意でも好きでもない。今日までの一週間はまさに執務室が地獄と扉続きになってしまったのではないかと本気で思う日々であった。
 ようやく謁見式を迎えてひと段落着いた途端、ニルスは執務室の机の上で夢の国へと旅立つことに決めたのだが、その旅は案外早く終わってしまった。
「――ニルス、ニルス!」
 誰かが頭を小突いた。ニルスはしぶしぶ顔を上げる。内政総務局のタッシェンのまだら髪が目に入ると、ニルスは目を擦った。
「なんだ、白髪オヤジ」
 口を開いた途端に大あくびが出た。タッシェンは不快そうに眉を顰める。
「どこが白髪だ。お前に言われたくはないわ髭坊主」
 突っ込むところはオヤジじゃなくて白髪かよ、と心中で呟き、ニルスは自分といくらも歳の違わぬ文官を見上げた。
「事実、髭と坊主頭では反論する気が起きないな」
 タッシェンはフン、と鼻を鳴らすと手にしていた書類で襟元を仰いだ。まだ夏には早いが近衛隊長の執務室は西に面しており、午後は西日でじりじりと室温が上がる。
「……ニルスお前、自分が警備責任者の謁見式に出なかったのか?」
「ほ……あ、ふぁれは列席義務があるのは各局長と大将以上だけだろう」
「それはそうだが」
「まあ、要らぬ野次馬も大勢居たみたいだがな。ご丁寧に俺たちの仕事を増やして下さった紳士淑女に敬礼だ」
「お前なぁ」
 はあ、というため息が再び沈没しかけたニルスの後頭部にかかった。ニルスは再び顔を上げ、タッシェンを睨む。
「タッシェンお前はため息をつくためにわざわざ来たのか? 俺は徹夜続きで眠いんだ。用がないなら帰ってくれ」
「別に俺は帰っても構わぬぞ。お前のところで人員が欲しいのではないかと思って来てやったのだ」
 ニルスが今最も見たくないものの一つである書類がバサリという音とともに机に投げ置かれた。
「叙任式が終わったらすぐに参騎たちの配属検討会議が召集される。それまでにこの申請書を書いておかねば全部皇軍に取られるぞ」
 ニルスは緩慢に体を起こした。机の書類を取って軽くめくるが内容はまったく目に入っていなかった。
「ふうん。何か面白いのは居たか」
「面白いというか……まあ、話題をかっさらっていたのはダントツでリティヒとデッセンだな」
「リティヒ?」
「何でも唯一プラッツの盗賊を退けて来たらしいぞ」
「ほ……う、少しは腕が立つようだな」
 ニルスは顎に手を当てた。
「容姿はどうだ」
「なんだ、いまさら容姿を気にするのか? 大将からしてこれなのに?」
「じゃかしいわ。大将からしてこれだから、今更気にするのだろうが。ヴェスト閣下がザヴィーニから連れてきた近衛はレベル調整のために半分ほど皇軍にお裾分けしちまったし、残りはとにかく近衛のレベルに達する腕の人間を市国衛兵から引っ張ってくるので精一杯で容姿がどうのという状況ではなかったからな。儀杖に使えるやつがほとんど居らん」
「シュミット中尉は?」
「アレはやり過ぎだ。あそこまで美人じゃなくていいんだよ。まったく、あれの容姿を五十分割くらいにして他のやつに分けてやりゃちょうど良くなるものを」
「そんな無茶な」
「で、どうなんだリティヒのは」
「うーん……」
 タッシェンは口ごもった。
「まあ、アレだ。一言で言うとだな、伝説のアレそのままだよ」
「伝説の?」
「ほら、例の」
「例の伝説……ああ、アレか」
「アレだよ」
「なるほど」
 ニルスは気だるげにペンを取り上げた。
「仕方ねぇ、この書類で最後だからな」

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