10. 謁見

 大陸暦二〇一二年七月十七日、召集された参騎が城に集められ、騎士(ライト)位の叙任式と宮中晩餐会が執り行われた。
 勅使にその場で参騎派遣に承諾した十の市国のうち、八市国はプラッツの砂漠を通らなければクーダムにたどり着けない地理に位置している。この八市国のうち三市国が参騎を盗賊に殺され、期日までに登城しなかった。一市国は盗賊を警戒して一個師団で参内しようとしたため、準備や行軍速度の問題で期日に間に合わなかった。これに勅使には返答を留保したが、結局参騎を派遣してきた二市国をあわせて、期日には八市国が皇宮に参内した。この中で盗賊に襲われたが、期日までにたどり着いたのはリティヒ、すなわちマーセル・ラングのみであった。
 ラングは曲がりなりにも参騎に選出された者達にもかかわらず、盗賊に出会って生き延びたものが自分以外誰も居ないということに背筋の寒い思いがした。自分も、ビルシャナが居なければ間違いなく殺されていただろう。
 ラングがただ一人プラッツを生き延びた参騎だという噂は、ラングの容姿とセットで瞬く間に広まった。人々は「やはりイーリヒトの所以か」と囁き合った。
 周囲に災いをもたらすイーリヒトが参騎として参内したことは宮中・城下を騒がせたが、デッセンの参騎、というより参騎に付いて来た一人の少年もラングと同等以上の注目を集めていた。このため、叙任式の前に行われた謁見には、皇宮中の謁見に列席できる人間が集まったのではないかというほどの人が集まった。ラングたち参騎はパラスト・ワイマールの中央にある謁見の間に整列して膝を折り、首を垂れて皇帝が姿を現すのを待った。
 しばらくして伸びの良い、よく通る声が広間に響き渡った。
「皇帝陛下、御入室」
 ラングは首を垂れたまま、視線だけを動かして声の主を見た。皇帝の傍近くに仕える近衛兵だ。きらびやかな礼装に身を包み、実用性に疑問を感じる長槍を構えて微動だにしない。何よりもその上に鎮座するすまし顔にラングは目を見張った。近衛には容姿の整った人間が選ばれると聞いたが、これほどまでとは。きらびやかな金髪や滑らかな肌といった造作の美しさはもちろんだが、全身からにじみ出るまぶしいような雰囲気は、人の視線をひきつけて離さない力を持っていた。やがて視線に気づいたのか男が急にラングを見た。ラングはあわてて視線を逸らし、より深く頭を垂れた。
 しばらくして衣擦れの音が聞こえた。その音が階上の玉座に近づき、やがて止んだ。ラングは息(かたず)を呑んだ。
「――参騎諸君」
 低いが、神経質そうな声が広間を震わせた。
「大陸各地からの長旅、ご苦労であった。遠路クーダムまで参じた忠誠心に、陛下に代わって深く感謝する」
 一旦言葉を切り、なにやら紙を広げるカサカサという音。
「只今より、各市国の参騎の名をそれぞれ読み上げる。名を呼ばれたものは面を上げ、皇帝陛下にご挨拶申し上げよ」
 ヤーレガルド、クロイツベルグ、レーエンの参騎の名が呼ばれ、それぞれの参騎の緊張気味の声が答えた。
「次、リティヒ参騎、マーセル・ラング」
「はい」
 ラングは顔を上げた。階上から大きな玉座がラングを見下ろしていた。いや、玉座が大きく見えたのはその真ん中に腰を下ろしている玉座の主が余りにも小さかったからかもしれない。弱冠七歳で皇帝の冠を戴いた先帝の嫡子ユーベルは現在御歳十二か十三だ。それは知っていたが、それでも巨大な玉座に腰掛ける姿は余りにあどけなく、小さく見えた。柔らかく光る金の巻き毛に埋もれるように、碧玉の瞳が優美な視線を投げかけている。これが有名なエリジアンの微笑みか、とラングは嘆息した。神に愛された子供、この世でもっとも美しい子供。
 そしてその傍らにそびえる大樹のような飛びぬけた長身の男がヴェスト内政総務局長だろう。一本の乱れもない白髪の隙間から覗く刺すような視線とかち合って、ラングはハタと状況を思い出した。ガルの「エンドレス氷上舞踏会に強制招待」という言葉が脳裏をよぎる。
「リティヒより参上いたしました。マーセル・ラングと申します。陛下にお仕えすることをお許しいただき、光栄の至りに御座います」
 再び深く頭を下げる。
 広間中がざわめいているのがわかった。皇帝ユーベルの美しさに気を取られていたが、ラングが顔を上げたときから、広間には漣のようにざわめきが広がっていたのだ。その原因がラングの容姿、すなわちイーリヒトを示す黒髪・黒目・黒肌に対するものであることは容易に推察された。噂のイーリヒトを拝めてさぞかし満足なことだろう。ラングが伏せた頭の下で自嘲気味に笑みを漏らしたとたん、涼やかな声が広間の空気を震わせた。
「リティヒの参騎は、唯一プラッツの砂漠で盗賊に出会いながら生き延びたと聞きました」
 思わず顔を上げると、玉座の隣の男が慌てて皇帝をたしなめているところだった。
「陛下、何かお尋ねになりたいのであれば私が――」
「盗賊は度々皇軍の輸送隊も襲撃し、補給物資を奪っています。私達も心を痛め、頭を悩ませているのです。盗賊はどのような様子でしたか」
 ラングは突然の事に困惑して周囲を窺った。
「陛下!」
「直答を許します。盗賊の様子を」
 皇帝の瞳からは先ほどまで浮かべていた柔らかな光は消えていた。剣呑ではないが、真摯な強い光がまっすぐにラングを捉えている。ラングは息を吸い、意を決した。
「盗賊は」
 ヴェストがあきらめ顔で先を促すように顎をついとラングに向けた。
「数は三十以上、砂馬を操ります。それぞれがなかなか戦い慣れており、倒すのは簡単ではありません。頭目と見られる青年が最も厄介で、完全な公用語を操り、冷静に状況を判断して手下たちを良く統率しています」
「完全な公用語……? プラッツのあたりは比較的訛りが強い地方だが」
 ヴェストまでが興味を惹かれたように目を光らせた。
「それで、三十もの手錬れを相手にどのように戦ったのですか? 相手が砂馬では、逃げることも難しいでしょう」
「はい、しかし私が勅命で荷を運んでいるのではないと知るや、途中で興味を失ったようでした」
 実際には助かったのは盗賊が興味を失ったからではなく、ビルシャナが助けてくれたからだが、ヴェストは参騎をふるいにかけようとしていたという噂も聞いた。あまり誰かに助けられたなどと言わぬ方が賢明だろう。
「……? 盗賊が勅命で荷を運んでいるかと問うたのですか?」
「はい。荷の内容をずいぶん気にかけているようでした。偽りの情報による罠ではないかと疑いながらも、わざわざ私を追ってきたところから、彼らへ情報提供した情報元はかなりの信頼を得ているようです」
「陛下……」
 ヴェストが腰をかがめると皇帝とヴェストは何事か言葉を交わし、お互い真剣な顔で頷き合った。
「リティヒの参騎」
「はっ」
「この件、後ほど改めて伺おう」
「承知いたしました」
 ラングは再び頭を垂れた。確かに、普通ではない様子の盗賊ではあったが、皇宮がそれほど気にかけているとは知らなかったのでラングは少々後悔した。何か面倒なことに関わってしまったのではないだろうか。もちろん、知っていたからと言って避けられたことではなかったが。
 何しろ自分をクーダムに送り出したリティヒ代候テーゲルは何も教えてはくれなかった。彼ならプラッツの砂漠に盗賊が出るという噂もつかんでいたかもしれないし、皇宮の注意すべき人物や力関係についての助言も多少なりとできたはずだ。しかし彼はただ宝剣をラングに与えて登城の期日を伝えただけだ。以前に一度行ったことがあるだろうとクーダムへの地図すらくれなかった。リティヒ代候テーゲルという男はそういう男だ。言葉はいつも一言二言で、それでいてラングが困っているとどこか楽しんでいる風情がある。
 ラングを困惑させたのはそれだけではなかった。リティヒはもちろん、城下の噂では、幼くか弱い皇太子殿下を連れ去った切れ者のオストハルト卿(現在はクルツリンガー伯だが)はユーベルを傀儡の王に仕立て上げ、自らの思うままに権勢を揮っているということだった。だが、先ほどからのやり取りを聞いていると、とてもヴェストの一人舞台とは思えない。あの利発な少年王の発言権がこれだけあるのであれば、こちらもそれなりの対応というものがある。皇宮の事情など窺い知れぬ平民や田舎市国の貴族たちならともかく、皇宮に出入りしていたこともあり、先帝に拝謁したこともあるというテーゲルがそれを知らなかったというのは不自然だ。
「次、デッセン参騎、グレイ・リポック」
 リポックの名に、静まりかけていた場内は再びざわめきにつつまれた。

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