09. 登城

 クーダムの中心には雄大な河が流れている。ツェーレンドルフ川、またの名を「神の涙」という。ツェーレンドルフ川の源流の一つが主神殿の泉であるのがその由来だ。主神殿は国教であるエルフリート神教の主神エルフリートを奉った神殿で、皇宮の南西の小高い丘に位置している。川は神殿とその近くの山々から集めた水を湛えて、神の歩みのごとく悠然と街を東西に分断している。春には雪解け水を集めて水位が増すが、それでもここ十数年氾濫したことがない。川幅は極めて広く、河の中流にある中州に小さな街が収まってしまうほどだ。この中州の町を中区、河を隔てて東側を右区、西側を左区と呼ぶ。東区、西区と言わずに右区、左区と呼ぶのはクーダムの南端に位置する城を基準にしているためである。ツェーレンドルフ川が形成した肥沃な扇状地は様々な果実や野菜を提供し、古からクーダムの民を守ってきた。
 昔の歴史家が、都市を形成するのに必要なものは、神聖性と安全性、そして商業であると定義しているが、確かに、クーダムはその形成された時代においてこれらを完璧に満たしていた。外敵からの侵攻に対する安全性という意味では、海を隔てて他国に接するクーダムは必ずしも安全とはいえない。しかし、クーダムに都市が形成された時代においては外敵の脅威よりも、飢えの方がはるかに重大な脅威であったのに違いない。さらに、現在こそ敵対関係にある海の北方の北国、ジャンフェン神聖帝国ともその昔は盛んに交易が行われていた。商業の中心地としての役割を立派に果たしていたのである。
 こうした条件を揃えたクーダムに長い歴史で幾度も都が置かれてきたのは合理的というべきであろう。
 たびたび帝都として栄華を極めた名残が幾重にも折り重なって下支えしているクーダムの城下町は、決して派手ではないながら、どこかリティヒなどには太刀打ちできない華やかさを感じさせた。町では様々な場所に「第何期のアルハイム王朝が凋落する前に隠した埋蔵金が眠っているらしい」という噂がまことしやかに流れているが、住民も住民で浮かれるでも騒ぐでもなく「そりゃあ、クーダムなんだから埋蔵金の二つや三つ当然あるだろう」と涼しい顔をしている。
「クーダムの人たちはね、いまだかつてクーダムがアルハイム帝国で一番じゃなかった時代なんてないと本気で思っているんですよ」
 城下町とは城をはさんで反対の山あいに位置する小さな村で、砂馬と通常の乗用馬を交換してくれた馬屋の女性が茶を注ぎながら言っていた。
「陛下がお越しになろうがなるまいが、帝都はクーダムで、ザヴィーニは田舎市国、そう思ってる節がありました」
「全く逆じゃないか。遷都されるまでは」
「そうですね。多分、ザヴィーニが元々は夜盗から出発した勢力が幅を利かせていた土地なので、野蛮だと馬鹿にしているんです。勢力が大きくなり過ぎたと見た当時の皇帝陛下がザヴィーニに侵攻して制圧したのは良いですが、面倒になってそこにそのまま都を移してしまったものだから、そこも頭に来ているんだと思いますよ」
「頭に来ると言っても何百年も前の話だろう」
「クーダムの民はプライドが高い上に粘着質なんです」
 ラングは苦笑して女性に馬の礼を言い、皇宮へ馬を駆った。
 クーダムの南側の峠を越えたラングが山あいから見下ろすと、城下町の民家はそろって白い屋根で、雪が降り積もったかのように見える。ラングは城下町へは降りず、馬首を返して皇宮への急勾配を登って行った。曲がりくねった坂道を登り切るとそこは階段の踊り場のように開けていて、青天を背景に飲み物を売る店や馬車屋が店を構えていた。その奥に、アルハイム皇家の紋章を掲げた大きな城門がそびえている。皇宮の最も外側の門、トールシュロッターである。ラングは馬を馬車屋に引き渡し、城へ足を向けた。城門は既に開いており、制帽に大きな羽を飾った近衛兵が入り口を守っていた。
「入城許可のない方はお引き取り願います」
 近衛兵はさすがに教育が行き届いていると見え、フードの影のラングの顔を見ても表面上は驚いた様子もおびえた様子も見せなかった。
 ラングは懐から宝剣を取り出し、近衛兵に示した。
「リティヒから来た参騎だ」
「少々拝見」
 剣を受け取った近衛は剣を隅々まで眺めまわしてからラングに返した。
「なるほど、確かに参騎に下賜された宝剣です。ではどうぞお入り下さい」
 ラングは剣を受け取ると一礼して門の中へ進んだ。トールシュロッターから二番目の門、すなわちトールオブラータやトールアドリークまでの間を外宮と呼び、ここまでは身分に関わらず許可さえあれば入れる。実際、遠くには旧い時代のクーダム侯爵が愛人のために建てたという小離宮を見学に来た平民らしき人々がゾロゾロと連なって歩いているのが見えた。ラングの目指す宮はそれとは逆方向にあるトールオブラータの向こうにある。美しく整えられた芝生の中の小道をトールオブラータまでたどり着くと、先ほどと同じく近衛が宝剣を確認して門を開いた。
 ラングが門をくぐった瞬間、遠くに声が聞こえてラングは立ち止った。
「――けー! そこをどけ!」
 声の方向を振り返ると何やらものすごい速度でこちらへ近づいてくる。近衛が身構えて腰の剣に手をかけた。
「あっ、門を閉めるな、ぶち壊れるぞ! オーケー、冷静に行こう」
 門を閉めようとしていた衛兵があわてて飛びのくのに合わせて、ラングも道の端に避けた。
 叫び声をまき散らしながらラングに突進してきたそれは金属の軋むような大きな音と土煙を巻き上げて停止した。しばらくの後土煙の中から姿を現したのは真っ赤な自動車だった。
「ゲホッ、ゲホッ……やっぱ、何事も限度が必要だと思うんだよ俺は」
「問題があるのはブレーキの制御系とタイヤのグリップ性能だろうが」
 言い合いながら自動車から降りてきた二人はラングと同じ年くらいの青年とそれに比べると十歳くらいは年下の少年だった。その少年の方がラングを見て、「ゴメンゴメン、エンジン改造したら出力出過ぎちゃってさ。ブレーキの性能が追い付かないんだ。怪我なかった?」と、屈託なく笑った。
「ああ……」
 ラングは自動車の存在は知っていたが、自分の目で見るのは初めてだった。リティヒは田舎市国だったし、自動車のような高価なものを手に入れるには貧しい市国だった。テーゲルならそのくらいの財はもっていたかもしれないが、残念ながらあの男はこの手の新しい技術にまったく興味を示さない。
「なに、あんたもしかして車初めて? だったら乗ってみる? これはそんじょそこらの自動車もどきとは格が違うよ」
 誇らしげに胸を張る少年に、青年は服についた砂埃を払いながら冷たい視線を向けた。
「アホか。お前、こいつは参騎だぞ。腰の獲物を見ろ」
「だからなんだってんだよ。こいつが参騎だと、俺の車の価値が下がるってのか?」
「言うに事欠いて俺の設計の価値を論じようとは笑わせる。俺が言いたいのはこいつには時間がないってことだ。登城期限の時刻は迫っているのにこのおのぼりさんはまだ着替えも済んでいないんだぞ」
「……確かに」
 少年はラングを眺めまわすと残念そうに首を振った。
「……?」
 年上の方の青年を見ると、白い髪の毛と女のように白い肌とは対照的な黒いブラシェに身を包んでいる。平民階級では結婚式や葬式などに着る礼服だ。
「まさか、あのガキ……いや、陛下の御前にその小汚い旅装で出るつもりではあるまい?」
 青年の方がラングを振り返る。その腰にはラングの持っているのと寸分たがわぬ意匠の宝剣が下げられていた。
 過去の慣例どおりなら、参騎は着任と同時に全員騎士<<ライト>>に叙任されるはずである。ライトは軍服あるいはそれに準ずる服装で出仕して良い規則であると聞いていたラングは答えに窮した。
「謁見式は叙任式の前だ。お前が地元の市国でどれだけの地位だったかしらないが、叙任式が終わるまでは帝国騎士ではないんだぞ。ブラシェを着るしかなかろう」
 ラングはやれやれ、と心の中でつぶやいた。なるほど、下手を打ったらしい。
「陛下は寛容な方だから多分御咎めにはならないと思うけど……皇宮でこういうことをするのはグレイの専売特許かと思ってたよ」
 見下した態度の青年ばかりか、少年の方まであきれ顔で肩をすくめている。青年は心外そうに少年を振り返った。
「俺があの白髪ノッポの前でそんな下手を打つか。奴に見つかったらあの世に瞬間移動させられることが分らんほど自分の兄が脳なしだとでも?」
「閣下をそんな呼び方している時点でグレイも片足はあの世の土を踏んでるってことに気づいてほしいよ、俺は」
「ふん、馬鹿の一つ覚えみたいに不敬罪不敬罪と……そんなことでイチイチ断頭台に登らされてたまるか」
 尊大な態度を崩さない青年に、その弟であるらしい少年はさらにため息を重ねた。
「それは本当にグレイが不敬だからだと思うけど……って、あんた、あんまりビビらないんだね。閣下に目つけられたら万が一頭が体につながったままだったとしてもエンドレス氷上舞踏会に強制招待だってのに」
 弟の方が目を丸くして、茫然と兄弟の掛け合いを眺めていたラングを振り返った。
「いや、まあ……慌てたところでブラシェが出てくるわけじゃないし、事情を話せば――」
「甘い!」
 珍しく兄弟のの意見と発言が一致したようだった。二重奏のような叱咤の声ののち、兄の方が顔をしかめて続ける。
「奴はあのガキのこととなったら弁明の余地なんて蜘蛛の糸の太さほども与えないぞ」
 ふんふん、と少年は頷いていたが、急に思い出したように組んでいた腕を解いた。
「……そうだ。あんた、確かに慌ててもブラシェは出てこないけど、この男に頭を下げれば出てくるよ、今すぐ」
「はあ?」
 弟に指差された兄が心外そうな顔で弟を睨んだ。
「いいだろ? グレイは一度気に食わなかった服は一生着ないんだし、背格好もそっくりだし」
「ああ、あれのことか」
 青年は不満そうにラングを検分するように眺めまわしていたが、しまいにはプイと背を向けた。
「……まあ、持っててもしょうがないからな。持っていくがいい」
 少年は胸の前で拳を握った。
「やった! あんた……えっと?」
「ラングだ」
「俺はガル。よろしくな。……ってことで、ラングはグレイのブラシェを使いなよ。出来上がったのを試着しただけで、色が気に食わないってここに放り込まれてたのが――」
 ガルは車の後部座席に首を突っ込み、衣装鞄を取り出した。「あった、これだよ」
「じゃあ、俺は先行くぞ」
 兄はガルやラングのことはどうでも良くなったらしく、踵を返してスタスタと内宮の方へ歩いていく。
「うん、あとでね」
 ガルは振り返りもせず手を振った。
「……いいのか?」
「うん。俺は謁見式は出なくていいから、時間に余裕があるんだ。その調子じゃブラシェも一人で着れないんだろうし、手伝ってやるよ」
 ガルは少し離れて様子を見守っていた近衛に向かって声を張り上げた。
「おーい、そこの兵隊さん!」
 近衛がいぶかしげにこちらを見る。
「すぐ戻るから、この車見張ってて! 素人には動かせないとは思うけど、万一動かすと危険だから!」
 近衛は無言で敬礼を返してきた。ガルは頷くとラングの腕をつかんで歩き出した。
「どこへ?」
「いくら男だからって庭の真ん中で着替えるわけにはいかないだろう?」
 ガルは植込みを突っ切り、近くの宮殿の渡り廊下から柱廊に進んだ。
「勝手に入っていいのか?」
「ここはまだ内宮じゃないから、廊下ぐらいなら問題ないよ」
 まっすぐに伸びる広い柱廊の向こうに、柱を磨いている少女が見えた。ガルが声をかけると顔を上げ、一瞬怪訝そうな顔をしたのち、合点が行ったように微笑んだ。
「何かご用でしょうか、リポック卿」
「うん、そこの会議室、今空いてる?」
 ガルが廊下沿いに並ぶ扉の一つを指差すと、少女は立ち上がり、ブラシを置いて立ち上がるとお仕着せの裾を直して礼をした。
「はい、本日はそちらのお部屋の使用予定はございません」
「そりゃそっか。人の出入りがあるときに掃除なんてしないもんね。じゃあ、今から少しだけ使わせてほしいんだ。急ぎで」
「お急ぎ、ですか」
「うん、かなり」
「では、手続きをしている時間はございませんね。短時間でしたら私がここを見張っておりますから自由にお使い下さい」
「ありがとう。それと、一人ブラシェの着付けができる人間を寄越して欲しいんだ」
 少女は少し考えるそぶりを見せた。
「……私でよければお手伝いいたします。どなたをお世話すればよろしいでしょうか?」
 ガルはラングを指差した。
「こいつなんだけど、できる?」
「以前は侍女として働いておりましたので、ご婦人でも殿方でも、身の回りのお世話でできないことはございません」
「そりゃ頼もしいね。だけどその間、誰が見張るのさ?」
 ふふふ、と少女は帽子の飾りを揺らせた。
「リポック卿がお部屋の前にいらっしゃるのを見れば、咎めたりするものはおりませんわ」
「……なるほど。じゃあ、頼んだ」
 ガルは頷いて、手にしていた衣装鞄を少女に手渡した。
「ああ、そうだ。名前、なんていうの?」
「デニスと申します」
「そう、ありがとう、デニス」
 言いながらガルが懐から取り出した紙幣をデニスは柔らかに押し返した。
「結構でございます。私どもはこういったお手伝いも含めてお給金を頂いておりますから」
 にっこりと笑う表情はさすがに板についている。ガルは困ったように頭を掻いて、
「でも、本来の仕事の邪魔をしてしまったし」
「では……一言兄上様にお伝えいただけますでしょうか」
 先ほどの落ち着いた笑顔はどこへやら、わずかに頬を染めて前掛けのふち飾りを弄るデニスに気づいたガルは大仰に頭を抱えた。
「っかー! グレイの奴、中宮の女にまで手出しやがったのか!」 
「あの……」
「わかった、わかった。ちゃんと伝える。でも、期待はしないでくれよな! あいつの性格は君も知ってるとは思うけど」
「十分でございます。ありがとう存じます」
 デニスは深々と頭を下げると、部屋への扉を開きラングを招き入れた。
「さあ、お召し物を」
 外套を脱がせようとしてデニスはようやくラングの容姿に気づいたらしい。一瞬目を見張り、息を呑んだのち、平静を装って外套を受け取ったが、その腕はかすかに震えていた。
「……俺が怖い?」
「しっ、失礼しました」
 帽子が落ちそうなほど頭を下げるデニスに、ラングはため息をついた。
「今から陛下に拝謁するんだ。何もしやしない。外にはガルもいる。安心していい」
「は、はい……」
 返事をする声が先ほどまでガルと話していたのとは明らかに違う。ラングは肩を竦めた。
「まあ、いいや。俺も人に服を脱がされたり着せられたりするのは慣れてない。むしろ、君と同じく人の世話をするのが仕事だった」
「やはり――あっ」
 デニスが慌てて口を抑える。
 やれやれ、とラングは心の中でつぶやいた。最近はくだらない噂話まで即時に新聞の記事にされ、大量にばら撒かれるため一瞬で大陸中に広まる。印刷機を作った奴は余程のゴシップ好きに違いない。
 新聞などなくても自分の容姿は見る人に一目でイーリヒトを連想させるのだ。そこへ加えてテーゲルの従僕だったなどと言わなければわからないような情報まで広めないでいただきたいものである。別に従僕という身分自体は問題ではない。各市国は参騎に軍事面や政治面で際立った能力を見せるものを選び、皇家への貢献度を競う。そのためには市国騎士ですらない平民が選ばれることも多々ある。従僕は剣を覚え、主人に気に入られれば騎士に取り立てられることも珍しくないから、平民としては一番騎士に近いところにいるわけで、それが参騎になることは何の問題もない。だが、今回はよりによって「リティヒ代候テーゲルの」従僕であるところが厄介だ。
「参ったな。俺の経歴はこんなところにまで流布されているのか」
「し、……新聞で拝見したのでございます。クーダムのお屋敷で……」
「いかにも。だから自分でやるよ。最後の帯をしめるところだけ、手伝ってくれるとありがたいけど」
 ラングはテキパキと服を脱ぎながら近くの椅子に脱いだ服を置いた。
「申し訳ありません。あの、――ラング卿」
「まだライトじゃない。さっきも言った通り、俺は従僕で、君と同じ使用人だ。その丁寧な態度もやめてくれ」
「……はい。頭では分かっているのです。口さがない新聞が書くような怖い方ではないと。でなければ陛下が入城をお許しになるはずがありませんし、リポック卿と親しくされているはずもありません」
「そういえば、その話だけど」
 ラングはブラシェ用の下着の留め具をはめる手を止め、デニスを振り返った。
「リポック卿……ってガルのこと呼んでるけど」
「はい」
「……あいつ、貴族なの?」
「ご存じなかったのですか?」
 デニスは目を見張った。
「ガル様は、アルハイムでも十人弱しかおられないマイラの称号をお持ちなんです」
「マイラ……って工匠の?」
「はい。ですから、正確にはライトと同じ準貴族でいらっしゃいます」
「なるほどね」
 それで、自動車などに乗っていたというわけだ。マイラなら皇宮でも様々な特権を持っている。中宮で好き勝手に歩き回る権利もある。もしかしたら皇宮内で車を乗り回したり、会議室を勝手に使う権利もあるのかもしれない。
「ガルとはさっきあったばかりだ。別に親しくはない……あっ、でも俺のことは心配はしなくていい。本当に」
 ラングが慌てて手を振ると、デニスは動きを止め、ラングをぽかんとした顔で見つめた。ラングは急に自分が着替えの途中であったことを思い出し、留め具に再び手をかけた。下着を着終わり、上着を出そうと衣装鞄を覗くと先ほどまで入っていた上着がない。
「デニス、ここにあった――」
 ラングが振り返ろうとした瞬間、上着が肩に掛けられた。
「腕をお上げください。袖を通します」
「――デニス?」
 背後を見ると、デニスの明るい笑顔があった。
「後ろ身頃のダーツの量はちゃんと後ろから見て調節しないと美しく着つけられませんし、時間が経つと着崩れて来るんです」
「デニス、無理しなくても……」
「御髪も乱れているようですから、終わったら梳いて差し上げますね」
 デニスは落ち着いた手つきできびきびとブラシェを整え、飾り紐を結び、帯を巻いた。最後にラングの髪を梳って少量の油で整えると、満足げに頷いて部屋の隅に置いてある大きな姿見を運んできた。
「お似合いですわ。ラング卿。御髪や御肌の色とこの鮮やかな純白のブラシェの対比が目の覚めるような美しさです」
 似合うかどうかはともかく、ブラシェの質は高かった。派手ではないし凝った意匠が施されているわけでもないが、純白の生地の繊維は厳選され、縫製は飛びぬけて高い技術を持ってなされたのがわかる。随分と金をかけて仕立てたに違いない。
「このブラシェはガルの兄のものだそうだ。色が気に入らないとかで」
 デニスはクスリ、と笑った。
「あの方は大変我が儘な方ですから。……でも確かに、白い髪に白い肌のグレイ様では、この色のブラシェは印象がぼやけてしまいますわね」
 確かに、とラングは頷いた。デニスは部屋の扉を開いてガルを招き入れた。
「リポック卿、準備が整いました。出来栄えはいかがでしょう?」
 ガルは入ってくるなり感嘆の声を上げた。
「うっわー」
「何だ」
「……ヤーレスカルテ」
 言うなり、ガルは腹を抱えて笑いだした。
「グレイは白地に黒だし、ラングは黒地に白だろ? 謁見式で二人が並んでるところ想像したらおかしくて!」
 ヤーレスカルテは伝統的なカード遊びだ。札には黒地に白で模様が描かれたものと、白地に黒で模様が描かれたものの二種類がある。
「失礼な奴だな」
 とはいえ、ラングは自分でもその光景は滑稽だなと思った。
「お二人は背格好も同じですしね。ブラシェの寸法もぴったりですわ」
「はいはい、グレイの寸法は体で覚えてるってね」
「リ、リポック卿!」
 顔を真っ赤にしてデニスは部屋を逃げ出し、廊下に置いてあった掃除道具を手に取るとピョコリと礼をして駆け去っていった。
「……ってのは冗談として。さ、急ぐぞ」
 ガルは空の衣装鞄を取るとラングの手を引いて車の元に戻った。ラングを車に投げ込むように押し込むと、ガルは運転席に飛び乗り、一気にエンジンに点火した。
「内宮まで一気に行くぞ。さあ、でっぱーつ!」
 中宮中に響き渡りそうな音が唸りを上げたかと思うと車体がガタガタと揺れはじめ、ついには大きく上下に跳ねた。心配になったラングが後ろを振り返ろうとした瞬間、体が後ろに吹き飛ばされそうなほどの圧力がかかり、車は勢いよく走り出した。

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