07. 紅の砂漠(4)


 盗賊の馬影が砂煙の向こうに消えて、女剣士を振り返ると、彼女は先ほどと同じようにぼんやりと横を見ていた。その視線が先程剣を振るい、火を放ったときとはあまりに異なって柔らかかったのでラングは面食らった。何を見ているのかと視線の方向に首を延ばすと、遠くから小さな人影が駆けてくるのが見えた。もう随分砂嵐は沈静化していて、かなり遠くまで見渡せる。
「新手か?」
「いや」
 女剣士は短く答えた。
 人影は屈強な男だった。長剣を背中に担いでいるが、盾は持っていない。
「ビルシャナ様!」
 近くまで来ると男が叫ぶのが聞こえた。女剣士は腕を組んだまま平然としているが、呼ばれているのはこの女らしい。男は女の目の前まで来ると荒く息をついた。かなりの距離を全力で走ってきたらしい。
「ビルシャナ様、突然どうされたのです。勝手に行動されては……!」
 男を遮るように女が手を上げた。その手がラングを指す。
「この青年が襲われていたので助けたのだ。悪かったな」
「人助けは別に悪くはございませんが、ひと言……」
「ああ、だから悪かった」
 女剣士は強引に会話を中断すると、ラングに向き直った。改めて彫像のような顔立ちだと思う。
「私はビルシャナ。こっちは護衛のワータだ。お前は?」
「俺は……」
 ラングは言葉を飲み込んだ。
「その前に訊くが、あんた達はジャンフェンの人間か?」
「ジャンフェン? さっきの男もそんなことを言っていたな」
 ビルシャナは眉間に皺を寄せた。
「ジャンフェンと言うと……」
「海を隔ててアルハイムの北側に位置する国ですね」
 ワータが口を挟む。程よく陽に焼けた肌に短く刈り込んだ髪の毛は、意外と男を知的に見せた。
「一部の人間は神の力を使うのでも有名です。彼らは法紋と呼んでいるようですが」
「ふむ、なるほど」
 ビルシャナはうなずいて、
「つまりお前は私たちがその国の人間だと思っているのだな」
 ビルシャナのいささか馬鹿にしたような態度にラングは憤然とした。
「法紋を操るものなど、ジャンフェンの人間以外いない! 違うと言うなら、所属する市国を答えろ」
「アルハイムの人間でもないぞ。私の生まれ育った国は、ヴァーユという」
「ビルシャナ様、ヴァーユは厳密にはアルハイムの属領です」
「そうなのか?」
「アルハイム人が覚えていて、それを変更していなければの話ですが」
「ヴァーユだと?」
 そんな国の名は聞いたことがない。
「ご存知なくて当然です。我が国は何百年もの間、外界との関わりをいっさい遮断してきました。公式地図からも存在を抹消されて久しい」
「そんな話を信じると思うのか?」
 険しい目つきで二人を睨むラングに、ついに耐えきれないといった風にビルシャナが忍び笑いを漏らした。
「そこまで我々がジャンフェンの人間だと思うなら、なぜわざわざジャンフェンの人間かと我々に問うのだ?」
「そっ、それは」
 ラングはビルシャナから視線をそらした。自分でも、ビルシャナに対して抱く違和感の正体が分からないのだ。
「銀髪のジャンフェン人など見たことがない」
「なら、ジャンフェン人ではないということで良いではないか」
「俺だってアルハイム人だが黒髪だ。銀髪のジャンフェン人だっているかもしれない」
「アルハイムには黒髪はいないのか?」
「全くいないというわけじゃないが、瞳も肌も髪も皆黒いなんてあり得ない」
 ビルシャナは、頭巾からはみ出して目にかかる髪の毛も、わずかに露出した肌も、自虐的に光る瞳も全て夜の色をしているラングの姿を確認すると無邪気に笑った。
「希少じゃないか。ヴァーユでもそのように美しく調和した黒は見たことがないぞ」
「事あるごとにジャンフェン人かと嫌疑を掛けられ、そうでなければイーリヒトだのなんだのと難癖をつけられる煩わしさを知らないからそんなことが言える」
「ジャンフェン人は黒髪なのだな」
 話をはぐらかされていることに気づいたラングは憮然として答えない。ビルシャナは肩をすくめた。
「仮に、我々がジャンフェン人だとして、お前はどうしたいのだ? なにか問題でもあるのか?」
「まず身元確認をする。正式な入国証を持っていなければ、工作員の疑いありとして紫巾隊にでもつき出すさ」
「工作員? そういえば、アルハイムとジャンフェンは交戦状態にあると誰か言ってましたね」
「だからって、助太刀したのに、ひどい仕打ちだな」
 言葉とは裏腹にビルシャナの顔は愉快でしかたないと言っていた。
「だが、お前ジャンフェン人を嫌ってはいないだろ? ……むしろ、私がジャンフェン人であることを期待しているように見えた」
 ラングは舌打ちし、そっぽをむいた。
「俺はお前達を見逃してやることも出来る。そうすれば、助けてもらった借りを返せるって期待しただけだ」
「それはありがたい。では遠慮なく見逃してもらおう」
「やはりジャンフェン人なのか?」
「いや」
 ビルシャナは笑って、
「ジャンフェン人であろうとなかろうと、結局お前に拘束されるわけではないんだろ? もうそれでよかろう。いい加減に名前を教えてくれてもいいんじゃないか?」
 ラングはため息をついた。剣を鞘に収めると、外套の前を合わせ直す。
「……負けたよ。ヴァーユとやらの話、信じよう。さっきの件も改めて礼を言うよ。俺はラング。マーセル・ラングだ」
 ビルシャナは手を差し出した。ラングがそれを握り返す。
「よろしく、ラング」
「……ところで、ビルシャナ。お前達はどこへ向かってるんだ?」
 一瞬、ビルシャナは考えるそぶりを見せた。
「クーダムに皇帝がいると聞いたんだが」
「もちろん、いらっしゃるが……陛下にお目通りかなうかどうかは」
「多分、大丈夫だ」
 なんの根拠があるのか知らないが、ラングには関係のない話だ。それよりも、盗賊に絡まれた分の時間を取り戻さなければならない。
 ラングは近くをうろついている砂馬に目をやった。騎乗していた盗賊が消し炭になってしまった砂馬のうち、要領がいいものは頭目たちと一緒に無人でアジトへ帰っていったが、残りの数頭はまだ手綱を取る者とともに行く先も見失って辺りをウロウロしていた。
 ラングはそのうちの一頭に近づき、手綱を取った。
「ビルシャナは急ぐのか?」
 ビルシャナはけげんそうに眉間に皺を寄せた。
「いや、少し休んでから行こうと思ってる。なぜそんなことを訊く?」
「俺は実は非常に急いでる。この砂馬で先に出発しようと思うのだが」
 手綱を引きよせると、砂馬は軽く嘶いて足下の砂を蹴った。ビルシャナは表情を緩めた。
「なんだ、そんなことか。好きにしろ」
「そうか。俺もクーダムに向かう所だ。城に来るならおそらく向こうで会えるだろう」
 ラングはひらりと砂馬に飛び乗った。
「じゃあ、クーダムで」
「ああ」
 ビルシャナが答えるのも待たず、ラングは背を向けて手綱を引いた。砂馬は短い鳴き声のあと、一気に駆けだした。

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