06. 紅の砂漠(3)

「……おい、大丈夫か?」
 ラングは目を開けた。なんだ、まだ生きているのか。ラングは若干落胆したが、周囲の光景が目に入った途端、それどころではなくなった。
 ラングに斬りかかってきた四、五名が揃って腹から血潮を吹いて仰向けに倒れている。乗っていた砂馬の頭は哀れなほどスッパリと切り落とされていた。そしてラングの目の前には長身の剣士が背を向けて立っていた。剣士の持った身の丈ほどもある長剣の切っ先からはボトボトと体液が滴っている。この剣士が、あの盗賊たちをまとめて馬ごとなぎ払ったというのだろうか?
 剣士が剣を無造作に片手で振り回すと、ぶんぶんという空気を押しのける音とともに切っ先に溜まった盗賊の血が飛び散ってラングのほうにも飛んできた。剣士はそんなことには構う様子もなく、剣を鞘に収める。
「ふむ、怪我はないようだな」
 言って振り返る、その声と顔に驚いた。片手で振り回す剣の大きさと身長から男だとばかり思っていたからだ。ラングとて決して背の低い方ではないが、剣士の身長は明らかにラングのそれを上回っている。確かに肩幅は男性にしては華奢に見えるが、腰まわりの細さや、骨張った直線的な身体の造形からはおよそ女らしい丸みというものが伺えない。とはいえ、声は低めだが女のものに違いなかったし、研ぎ澄まされた光を放つ真紅の双眸、頭巾からこぼれ落ちる見事な銀髪、鼻梁の形作る狙いすましたような線は口元を覆う布越しにもはっきりと分かる。
「ああ……、すまない」
 ラングはやっとそれだけ声を絞り出した。それは剣士の容貌に驚いていたためだが、剣士は戦いでどこか傷めたと思ったらしい、わずかに怪訝な色を浮かべた。
 しかし、いつの間に? 自分ですらかわし切れぬ間合いだ。どうやって入り込んだのだ?
 残りの盗賊たちもあっけに取られたように、その場を動こうとしない。
「避けろ!」
 女剣士が叫ぶと同時にラングも飛びのいた。先ほどまで立っていた場所の砂が舞い上がる。
 見ると、頭目の青年が、頭に巻いた布の隙間から、挑戦的な笑みをこちらに向けていた。
「ほう……女とは」
 相変わらず、落ち着いた声と美しい発音だ。だが、その視線は鋭く、一瞬たりとも気は抜けない。
 頭目の冷静な攻撃と落ち着いた声は他の盗賊を再び我に返らせた。
「そうだ……女じゃねぇか、なあ」
「久しぶりのご馳走だぜ」
 頭目は不快感からか顔を顰めた。
「掟を忘れるな」
「分かってますよ、お頭」
 盗賊は渋々頷いた。
「では、聞くが、大人しく降伏して持ち物を全てこちらへ寄越すつもりは無いか、女戦士? されば、命まではとらぬ。……当然、命同様大事なものも」
 生き残りの盗賊たちが一斉に嘆息を漏らした。不謹慎にも女剣士はそれを聞いて笑い出す。
「アハハハッ、手下どもは私が降伏すると不満そうだぞ」
 頭目は憮然として押し黙ったままだ。
「では……」
 女の手元に集まる特異な気配にラングはハッとして視線をやった。細い光の筋が幾筋も収束していく。
「まさか……っ」
「彼らの期待に応えるとしよう!」
 女剣士の左手が舞うように宙を一閃した。その軌跡が、燐光のように淡く光る。大気が、一瞬光ったように見えた。それが、女剣士の殺気だと気づくのにしばしの時間を要した。一瞬に、爆発するような殺気。まるで獣のようだとラングは思った。
 それと同時に周囲にいくつも篝火のような火柱が立った。
 その篝火の中心で、人間が炎に揺られるようにもがいている。女剣士が腕を下ろすと、いくつもの黒い影はそのまま地面に臥して動かなくなった。肉の焦げる匂いが緩やかに届いてくる。砂漠のそれを上回る、むせ返るような熱気と臭気が口元を覆う布越しに鼻腔に入り込んでくる。ラングは口元を手で覆った。鼓動が高まるのが分かる。何かが体の奥からこみ上げてくる。最初は吐き気かと思ったがそうではなかった。何かもっと違う衝動だ。ラングは自分の胸元を掴んで押さえつけた。
 瞼の裏で、激しく燃え盛る炎が蘇った。

 パチリ、と指を鳴らす音がする。「行け」と小さな呟きとともに、その炎がラングに襲い掛かってくる。「何するんだ、やめ……っ!」
 もう避けられない。ラングは思わず目を閉じて悲鳴を上げた。「リリョウ!」
 自分が燃え尽きた感覚がして目を開けると、目の前で楽しそうに笑っている男がいた。
「なんだ、出来るじゃないか」
 懐かしい笑み。
「いつもはインチキ奇術師みたいなチャチな水球しか扱えないくせに。カワイ子ぶってんのか?」
 男は意地悪い笑みを浮かべて髪をかきあげた。ラングと同じ色の髪の毛だ。
「お前はそのままでも十分カワイイから安心しな。ほら、次は竜巻が求愛しにいくぜ」

 再び男が鳴らした指の音がラングを現実に引き戻した。まだ燻っている敵の死体が状況を思い出させる。そうだ、あの女剣士が……
 ラングは体を折ったまま女剣士を見上げた。
 剣だけでなく、法紋も使うとは。……しかも法言や法印もなしに。
 ジャンフェン神聖帝国の兵の中には、火や水や風といった自然を自在に操る技術を持ったものがしばしば存在する。それらの兵は法紋使いと呼ばれていた。しかし、法紋使いは法紋を使う際、法言や法印といった術の発露を助ける手順を必ず必要とする。その手順をどちらも踏まずに火を放ったり水を生み出したりすることが出来る者がこの世に二人だけいるが、そういう者が存在するという事実自体、ジャンフェンでもごく限られた人間しか知らない重大機密なのだという。ラングは二人うちの一人を既に知っている。もう一人は、教皇だというが、ジャンフェン教皇がこんなところで一人でブラブラしているはずが無い。と、いうことはこの女はなんだ?
 女剣士の体からは、術を発した後の独特の気配の揺らめきが感じられた。軽く息が上がっているようにも見えたがそれは体力的な問題ではなく、すぐにでも次の攻撃に入れるように自分を興奮状態に保っているのだ。相手が少しでも動けばその瞬間にその者たちは先ほど同様丸焦げになるだろう。頭目もさすがにこれには色を失っていた。
「法紋使いとは……これでは分が悪いな。獲物がジャンフェンのヤツだなどとは聞いていない」
「聞いていない?」
 ラングの言葉に頭目は答えず、かといって攻勢に転じるべきか退却のタイミングを見計らうべきか決めかねている様子だった。
 女剣士は緊張を解くと、つまらなそうな顔でこぼれた銀髪を結い直し、頭巾を被り直した。
「……なあ、ボス」
 頭目が女を見やる。
「私の術の射程距離が、お前のところまで届かなかったから、先ほどお前を殺さなかったとでも思うか?」
 頭目は苦笑する。
「いや……おれは法紋には詳しくないが、お前はやろうと思えばこの場の全員を一瞬で焼き尽くすことができるだろうな」
「ご名答」
 女剣士は手のひらを上に向けると、その上で小さく火花を散らした。ラングは目を見張る。
「なら、私の言いたい事も分かるな?」
「残りの手下を連れてこの場を去れ、かな」
「再びご明察。私は無駄な殺生もしたくないし、神聖な力をこんな下らない事に使いたくないのだ」
 あれだけ無造作に、残酷な殺しをしておきながら、「無駄な殺生はしたくない」といわれても説得力がないが、かといって殺戮自体が楽しいというタイプでもなさそうだ。
「不本意だが従わざるを得ないようだ。おれもまだ死ぬわけには行かない」
「賢明だな」
 頭目は軽く腕を払った。散らばっていた盗賊たちがしおしおと頭目の後ろへ集まる。
「ひとつだけ、質問がある」
 馬首を返しかけた頭目が思い出したように振り返った。
「女の方も、勅命を受けてはいないのか」
 女はさっぱり意味が分からないというように肩を竦めた。
 頭目は暫くラングたちを睨んでいたが、本当に心当たりがないらしいことを悟ると深いため息をついた。
「ならばお前たちに用はない。邪魔したな」
 頭目は砂馬の短い嘶きと共に馬首を返した。
「邪魔したなで済むと思うか」
 ラングは思わず剣に手をかけたが、頭目は視線だけをこちらへやってくつくつと笑う。
「やめておけ。お前一人追ってきた所で、返り討ちにあうだけだ。そもそも、我々に去れと言ったのはそちらの女だが……?」
 女剣士はなぜか横を向いていたが、視線を投げかけられてようやく盗賊達の方を見た。先ほどまでとは裏腹に、女は盗賊に急激に興味を失ったようだった。
「何をしている。そちらが用がないならこちらも用はない。さっさと失せろ」
 ぶっきらぼうな物言いに、頭目は苦笑した。騎乗している砂馬が急かすように足を踏み鳴らす。頭目はどうどう、と馬の首を撫でた。その表情はとても盗賊とは思えないほど柔らかい。
「そういうことだから、ここは貸しにしておいてやる。返して欲しくばシドレクスのアジトまで来い」
 砂馬の集団が砂塵をあげて去っていく。ラングは濛々と立つ砂煙の向こうに見える後ろ姿を呆然と見送った。

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