03. 鬼畜誘導

 大陸暦二〇一二年七月八日、第八期アルハイム帝国第十七代皇帝ユーベル・エルラント・アルハイムの名で、大陸全土の市国に対して参騎召集の勅令が下された。
 そのときこれがさほど重要な意味を持つ出来事だとは、勅令を下した本人を含め、誰も考えていなかった。参騎召集の理由は、表向きはジャンフェン神聖帝国の侵攻に備えた軍備増強であったが、本質は各市国の態度を明らかにさせるためのものであることは自明だった。
 先帝が弑逆された後、先帝の実弟ライマー公と敵対しザヴィーニを出奔したオストハルト伯ヴェストは、血筋が絶えたと思われていたクルツリンガー伯爵の爵位を襲爵すると、先帝の正統な後継者であるユーベルを御旗に掲げ、新帝都クーダムに新たな体制を築いた。クーダムは長い歴史を紐解けば幾度も都の置かれた由緒ある土地とはいえ、五年前までは地方市国のひとつに過ぎなかった。これに対し、先帝の存命時から政治と軍のほぼ全権を掌握していたライマーの率いるザヴィーニ朝は、先帝が身罷り、ヴェストが離反した後もほとんど以前のままの皇宮の機能を引き継いでいる。その力は余りにも強大で、正統な後継者と実質上の後継者、どちらにつくべきか決めかねている市国もまだ多く残っていたためである。
「リティヒ、クロイツベルグ、デッセンからは承諾の返答があったと」
 クーダムに戻ってきた勅使の差し出した文書を広げながら、ヴェスト内政総務局長はユーベルを振り返った。
 御前会議が終了して広間から退出する諸官を見下ろしながら、ユーベルは金の巻き毛を揺らせて小さく微笑んだ。宮廷内ではエリジアンの微笑みと呼ばれるほどの神々しい微笑みである。
「それは良かった」
「デッセンを叔父上に抑えられると厄介なことになりますからね」
 ユーベルは体に合わぬ大きさの玉座に座ったまま、傍らに立つヴェストを見上げて軽く睨んだ。
「ヴェストは僕の教育係ですから僕を試すのは構いませんが、誘導するのは卑怯じゃないですか?」
「誘導?」
 睨まれたヴェストは笑いを噛殺して惚けた。ユーベルは頷いて勅使を下がらせる。勅使は床を見つめた姿勢のまま後ずさりして部屋を辞した。
「僕がデッセンの出方を心配していたと?」
 アルハイム随一の科学技術力を誇るデッセン。市国中が自然科学の研究に明け暮れ、数を数えることもかなわない数の工房が昼となく夜となく炉に煌々と炎をたぎらせる。噂では、月のない夜でも炉の煙突から微かに漏れる光でデッセンは薄明るいのだという。また、月の出ている夜は、排水用の水路に流れ出た油や金属が月の光で七色に光り、近くの山から街を見下ろすと水路の形がナメクジの通った跡のように見えるのだとも。
 噂の真偽はどうあれ、兵器にしろ、薬品にしろ、デッセンのものは他の市国の物とは水準が桁違いだった。デッセンがザヴィーニに味方すれば、クーダムがザヴィーニに勝利することは絶望的と言えるだろう。
 だが、五年前、今よりももっと先行き不透明な状況でデッセンがヴェストに肩入れしてなにかと協力してくれたことをユーベルは忘れていない。
「デッセンは表向きは政治的中立を謳う市国。とはいえ、いざとなればこちらについてくれること、心配などしていませんでしたよ。リポック卿からの話をヴェストにも話しておいたはずですが?」
「ふむ。では何をご心配に?」
「リティヒです」
「なるほど、陛下の答案に丸をあげましょう」
「それは光栄です、先生」
「して、理由は?」
 ユーベルはまだ足のつかない玉座から飛び降りると、執務室へと続く扉の方へ歩き出した。ヴェストもその後に続く。
「リティヒ候です。政治の中心から退かれて、先帝の存命中からクーダムに居を構えておられた。いまさら請うたところで政治の世界に戻ってくるとも思いませんが、彼の影響下にいる貴族や官吏がどれほどいるのか、正直把握できません。敵に回すのは得策ではないでしょう」
「しかし、リティヒ候がクーダムにお住まいなら、身柄を押さえたも同然。リティヒには選択肢がありませんよ」
 ユーベルは足を止めると、ヴェストを振り返って、腹の前で手を組んだ。ユーベルが昔の事を思い出す時の癖だった。
「ヴェスト、ザヴィーニにリティヒ代候が参内したときのことを覚えていますか」
「ええ、テーゲルとか言いましたか。六年前……いや、七年前の事だと思いましたが」
「僕はそのときまだ幼くて、難しいことは良くわかりませんでしたが、彼がリティヒ候を慮ってクーダムにつくことを選択するような人間には到底見えませんでした。ひどく硬くて冷たくて……まるで生き物ではないかのような。とても恐ろしく思ったので彼のことは良く覚えています」
「なるほど、リティヒ代候が独断でザヴィーニ支持を決定する可能性もあったと仰るのですね」
「頭は良い方のようでしたし、仮にもかのリティヒ候に領地の全権を任されているお方ですから、さしたる国力もないリティヒが周りをクーダム市国に囲まれて身動きの取れない状況に陥ることが明らかな選択をするとも思えませんが……でも彼には底の知れないところがあります。何かの気まぐれでそういうことも」
 ヴェストは扉を開くとユーベルを執務室に招きいれた。
「席にお座りください。答案は、そうですね、九五点というところでしょうか」
「九五点? 残り五点は……? 何か見落としていたでしょうか」
 ユーベルは御前会議のために纏っていたマントと手袋を脱いでヴェストに手渡すと執務用の机の前に腰掛けた。ヴェストは向かいの応接用の椅子に腰を下ろす。
「リティヒにはもう一点気になることがあります。先ほどのリティヒ代候が貴族仲間に話したところによれば、ジャンフェン風の子供を候館で養っているとか」
 なんだ、そんなことか、とユーベルは肩を落とした。
「その噂は僕も知っています。黒目、黒髪だがジャンフェン人とは明らかに異なる黒い肌で、聖典に記述された『光奪われし者(イーリヒト)』そっくりという少年でしょう」
「仰る通りです。リティヒ候個人の影響力はともかく、国力的には中流市国に過ぎないリティヒが一向に軍備増強を図る気配がないのは、いざとなればイーリヒトが指先ひとつで隣接市国を壊滅可能だからだという噂も流れています」
「あのねぇ、ヴェスト」
 ユーベルは机の上で組んだ腕に顎を乗せた。
「神官<<クライン>>以外で聖典を最初から最後まで読んだ人間なんて、この広い国で僕とヴェストくらいのものですよ。僕は皇帝という立場上、国教についておろそかにできないから仕方ありませんけど」
「何を仰いますか。私の他にも信心深いものはおります」
「そういうことを言っているのではなく……神や聖典を信じるのが悪いと言っているわけではありませんよ。信仰心を持つことは良いことです。ただ、国の話とは切り離して考えるべきだと言っているんです。自動車も銃もなかった時代とは違います。今や馬を必要としない自動車が走り、機械弓より強力で射程の長い銃で戦争を行う時代です。神だのイーリヒトだの人智を超えた力が実在するという前提で現実問題を検討するのは避けたほうが――」
「だから五点と言っています」
 強い調子で遮られ、ユーベルは勢いに押されて言葉を飲み込んだ。
「確実にイーリヒトの力が存在するなら、五点どころかリティヒの重要度はデッセンの比ではありませんよ。なんとしても押さえにかからなければなりません。
 個人的にはジャンフェン人が法紋を使うのですから、イーリヒトが居てもおかしくないとは思います。しかし本当に聖典どおりならイーリヒトは自分の意思で何者かを滅ぼすことなどできないのですから、噂は聖典をきちんと読んだこともないような人間が興味本位で流したものでしょう。
 ただし、御伽噺レベルとはいえ、そうした噂を好み、広める人々が居るというのは、現実問題として無視できない要素だと思いますが?」
 顔色も変えずに一息にまくし立てたヴェストに、ユーベルはうなだれた。
「……すみません」
「別に謝って頂こうなどとは思っておりません」
 ヴェストは立ち上がると書類の束をユーベルの前に積み上げた。
「先ほどの御前会議で検討された事項に関する書類です。会議中に裁可されたものに関しては念のため再度目を通していただいた後に陛下の御名と国璽を、扱いが決定しなかったものに関しては内容をご検討くださいますよう」
「今日中でしょうか」
「今日中です」
 はあ、とため息をついたユーベルには構わず、ヴェストは身を翻した。
「……ああ、噂といえば」
 出て行こうと扉に手をかけて、思い出したようにヴェストが声を上げた。腕をまくってペンを取り上げたユーベルは首をかしげて視線をヴェストの背中へ向ける。
「近頃プラッツの砂漠にはかなり強力な盗賊が出るそうですね」
 ユーベルはさらに首を傾げた。その盗賊に関する対策を、数週間前にヴェストと話し合ったのを忘れたのだろうか。
「それから、召集した参騎が、皇家から預かった宝を持参するように指示されているとの情報が密かに出回っている模様」
「そうですか」
 ユーベルは再び視線を書類に戻し、紙の隅にペンを走らせた。
「おかしな話ですね。僕はそのような指示はしていないのに。そもそも各市国に皇家から預けている物など、宝剣くらいのものです」
「事の真偽はともかく、そのような情報、皇宮外に漏れれば参騎が盗賊の格好の標的になるのは明らかですからね。ただでさえ、登城期日まで余裕がなく、旅程を選択する余地がない。いつ、どこを通るかなど、参騎の行動は盗賊に筒抜けです」
 ため息とともに、書類が一枚めくりとられて処理済の箱へ放り込まれた。
「いくら参騎が各市国を代表する使い手たちとはいえ、盗賊にこぞって目をつけられたのでは気の毒ですね」
「まったくです。穿った見方をする者達の間では登城期日を一週間後にしたり、盗賊を釣り上げる情報を流したりしたのは全て参騎を篩いにかけようという『ヴェスト閣下の』策略ということになっているとか」
「ひねくれた人たちが居るものです」
「陛下をザヴィーニからお連れして以来、私は『黒幕』だの『人形遣い』だの不名誉な冠詞つきで呼ばれるのが常でしたが、昨今は『鬼畜』だそうです。ですから、今後もっと鬼畜らしく振舞うつもりでおりますのであらかじめご了承下さい」
 言うなり扉を開けてヴェストは退室した。
「僕はいつもの優しいヴェストが好きなん――」
 ユーベルの言葉が終わらないうちに扉が大きな音を立てて閉まり、声を遮った。

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