01. 紅の砂漠(1)

 風に混じる砂のせいで視界が極端に悪くなっていた。
 それでもラングは砂煙の向こうに一瞬動いた影に目を凝らした。緊張のためか、それとも息苦しいような熱気のせいか、肌に滲んだ汗に衣服の隙間から入り込んだ砂が張り付いていく。ラングは身を低くし、マントの中で剣の柄を握りしめた。
「気をつけろと言われてもな」
 先刻立ち寄ったオアシスの水場で出会った女に「砂漠に盗賊が出没するから気をつけろ」と忠告を受けてはいたが、砂漠に出て一時間も経たないうちに、何者かに後をつけられている気配を感じた。
 予想通り、近付いてきた影はどうやら砂漠用に品種改良された砂馬と呼ばれる馬のようだった。通常の馬は砂に足を取られて進むことができない道も、砂馬は難なく駆け抜ける。影の大きさが大きくなってくる速度から言って、砂馬以外に考えられない。
 もちろん、野生の馬がラングに向かって一直線に駆けて来るわけはなく、馬上には男が乗っている。その男が善良な一市民である望みは限りなく薄かった。男の馬の背後の砂煙の中から、さらに同じような馬に乗った男たちが軽く見積もっても三十以上姿を現し、その男たちが一斉に馬上で抜刀したのである。
 強い太陽の光を鋭く反射して光ったのは、大振りの曲刀だった。対してラングが懐に抱えているのは皇家の下賜品とはいえ、宝剣である。美しいが刀身が長く、刃が薄いこの剣でまともにやりあえば一太刀で折られてしまうかもしれない。ラングは思わずため息を漏らして眉間を抑えた。
 幸い付近は岩場になっており、この視界の悪さならどこかの岩陰に隠れればやり過ごせる可能性はある。少なくとも、蛮刀を振り回す三十人強と真正面からやりあうよりは余程分があるのは間違いない。
 盗賊に敗北すれば、万が一命を永らえたとしても皇家下賜品の宝剣は奪われるだろう。ラングは他に金目のものなど持っていないのだ。宝剣を持たないラングがクーダムにたどり着いても一文の価値もない。そしてリティヒはクーダムに叛意ありとみなされるか、参騎がクーダムへ到達することすら満足にできないできそこないという評価が下されるだろう。リティヒの体面などどうでもよいが、こんなことのために自分が無能だと蔑まれるのは願い下げだ。
 ラングは腹這いになると近くの岩陰へ這い進み、再び背後を伺った。盗賊たちはラングの位置を正確に把握していたわけではないようで、ラングが移動しても特に進行方向を変える動きは見られなかった。ラングは念のため、さらに別の岩陰へと移動し、息を殺して盗賊の動きを伺った。盗賊たちは先ほどまでラングがいたあたりに向かって馬脚をそろえている。
 これなら、ラングを見失ったことに気づいて周囲を捜索し始めるタイミングによってはやり過ごせるかもしれない。いや、そもそもラングを狙っていたのではないのかもしれない。
 ラングが楽観的な推測を胸に抱いた瞬間、背後から低い声が響いた。
「おい」
 振り向きざま抜いた剣が眼前で火花をあげて鉛色の刃を受け止めた。刃の向こうで髭に覆われた口と黄色く濁った瞳が笑う。
「良い反応だ」
 剣と一緒に降ってきた言葉を思い切り押し返す。
 冗談じゃない、とラングは思った。
 いくら馬上の盗賊たちに気を取られていたからと言って、こう易々と後ろを取られていたのではたまらない。声をかけられていなければ、今頃ラングの頭は体の上に載っていないだろう。
「……お褒めに与り光栄だッ」
 立ち上がりざま蛮刀を払いのけると、相手は背後に飛びのいてマントを後ろへやった。ラングは剣を構え警戒したが、先ほど相手の曲刀を受け止めた感覚から、予想通り宝剣が盗賊の蛮刀との衝突にはそうそう耐えきれないことを確信しており、できれば剣を交えることは避けたかった。
 しばしの睨みあいが続いたあと、不意に相手は剣を握っていない方の手で指笛を吹き鳴らした。
「しまった!」
 ラングは思わず呟いて背後を振りむいた。先ほどまで一糸乱れず砂漠をかけていた盗賊の隊列が一斉にこちらへ方向転換して駆けて来る。この男、獲物の後をつけて場所を本隊に知らせるのが役目らしい。
 客観的に考えてもこの状況から抜け出すのは不可能と言っていい。ラングは考えを巡らすのを放棄した。
「続きやるかい、兄ちゃん」
「お前に勝てばあそこから駆けてくる一団にお帰り願えるというならやってもいい」
「それはできない相談だ」
「なら、無駄な体力を使う気はない」
「そりゃ残念」
 相手は奇妙に口をゆがめてニヤニヤと笑った。
「何を笑っている、アスワド」
 騎馬部隊の先頭がラング達のもとに到着した。見ると、他の馬も正確な円周上にぐるりとラングを包囲している。先頭を切ってきた男はこの賊の頭目らしく、最も立派な馬に跨っていた。声から察するにまだ若いようだが、人を支配し、服従させる力が篭っている。声色は落ち着いており、発音も正確だ。顔は砂除けのフードのせいでよく見えない。
「いや、このお兄ちゃんが案外やるんで楽しくてね」
「ほう」
 頭目は一瞬考えるしぐさをしてから、
「確かに、本隊が到着するまで獲物の息があったのは久々だな……お前、名は何と言う?」
 ラングは剣の構えは崩さず、視線だけを馬上の頭目へやった。
「そんなこと、聞いてどうする」
「……言われてみれば特に意味はないな、確かに。では、単刀直入にこちらの要求を言おう。お前が勅命で運んでいる荷を渡せ」
「……は?」
 ラングは思わず素頓狂な声を上げて剣を構えた腕を下した。
 勅命だと?
 確かに、ラングがクーダムへ赴き参騎となることは皇帝陛下直々のご命令である。だが、運べと命じられた荷などない。
「言っている意味が分からないな。運んでいる荷などない」
「しらばくれるか」
「疑うなら調べてみろ」
 頭目は傍らに控える男と目くばせを交わした。
「この男もハズレのようですね」
「やはり、罠か……」
「あるいは単なる出鱈目やも」
 頭目はラングに向き直ると、尊大に笑った。
「では、その宝剣を頂くまでだ」
 ラングは結局そうなるのか、とため息をつき、剣を構えなおした。
「それはできない相談だ」
「なら、無駄な交渉をする気はない」
 周囲の賊が一斉に曲刀を上段に振りかざす。
「そりゃ残念」
 ラングは前方に死が口を開けて待ち構えているのを感じながら半ば投げやりに砂を蹴った。

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