03. 二のアシャ フワルタク

 半ば禁忌に近い言葉を耳にするのは、アシャになったとき以来だろうか。余りに久しく耳にしていなかったので、一瞬フワルタクはそれがなんだったか思い出す努力をしなければならなかった。
「……なるほど。『モウバド』か」
「……ふむ」
 ダートも腕組みをして頷いた。
「それなら、竜を倒せる可能性は高いな」
 ヤスナも無言ながら力のこもった表情で頷いて見せた。
 ビルシャナがガルディアに登極してフワルタク達がアシャとして着任してから数日後の夜、五星宮の中庭にアシャが全員召集された。そこでアシャ達は『モウバド』の秘密を授けられたのだ。ビルシャナは書を片手に中庭に五芒星の小さな円陣を描き、それぞれの頂点にアシャの印である金の腕輪を置いた。そして自らその中心に立ち、片腕を高く上げた。その指先に、ほんの小さな炎が生まれたと同時に五芒星の頂点に配置された腕輪が発光し、円陣は光の柱となって立ち昇った。五星宮の建物よりもずっと高く、空の星に届くかというほどに高い光の柱だ。これがしばらくしてスッと消えると、代わりにビルシャナの指先に灯っていた小指の先ほどの炎が急激に膨張し、小さな中庭の空を覆うほどに広がり、空高く燃え盛り始めた。ほどなくして中庭の空気は燃え尽きてしまい、息苦しくなったのでビルシャナは炎を収めたが、先代のガルディナから引き継いだ書をまじまじと見つめて「なるほど、これが『モウバド』の力か。凄いな」と繰り返していた。ビルシャナが書の内容を伝えたところによれば、『モウバド』はフラワシの増幅術なのだということだった。アシャの立つべき位置に腕輪しか置かず、元のマグもごく小さいものだったにも関わらず、あのような巨大な炎と化したのだ。本気で『モウバド』を使えばその増幅率はほとんど禁呪の水準になるだろう。実際、ほとんど禁呪なのだ。ビルシャナは言っていた。
「考えてもみろ、そもそもアシャの存在そのものが反則技なのだ。それがよってたかってその反則性を利用して際限なくフラワシを利用するのだぞ。下手な使い方をすれば、今は黙認しているガルディアも怒ってお前たち全員消滅させるかもな」
 無意識に二の腕の腕輪に目をやると、まるで賛同するかのように紫の光を反射して光った。表面を指で撫でるとピリピリとする。
 しかし、ラトだけは浮かない顔をしていた。
「あの……僕たち以外の人はどうなるのでしょう」
 フワルタクは言葉に詰まった。『モウバド』にはアシャ全員の力が必要になる。ラトも例外ではない。したがって『モウバド』を発動する間、結界は解ける。現在虫の息ながら残って結界内に避難している少数の戦士たちは押し寄せてくる竜の炎に焼かれて裸のフラワシに還ることになる。
「アシャが最優先すべきことはガルディナの守護だろう。ガルディナを死んでも守らなければならない理由はなんだ?」
「ガルディナが死んだら俺たちも死ぬからだろう」
 ダートは不機嫌な表情で近くの石を拾って結界の外に向かって投げた。石は結界の境界に当たって一瞬で消滅した。
「話を逸らすな、ダート。確かにビルシャナが死んだら俺たちも生きられない」
 ガルディナは、ガルディアとの契約によって結晶核を守護する役目と引き換えに、島の豊穣と神の力を使役する権利を得ている。しかし、アシャは異なる。アシャはさる時代のガルディナが勝手に作った地位で、ガルディアは一切関知をしていない存在だ。にもかかわらず、五人のアシャを五芒星に配置することでその地位に呪を掛け、反則的に神の力を借用可能にしている。それがガルディアから黙認されているのは、強いアシャがガルディナを守ればその分結晶核の安全性は増し、無意味なガルディナ交代を避けることができるというメリットがあるからこそだ。その呪の主であるガルディナが死ねばその反則のペナルティはアシャに跳ね返り、命を持って償わされる。
「だが今はそういう話をしてるんじゃない。最優先はこの島の存続だ。そのためには結晶核とガルディナの命は必要最低条件。その最低条件を満たした上で、『モウバド』に参加しない民を救う方法があるのか」
 アシャ達は不機嫌に黙り込んだ。フワルタクは立ち上がった。
「では、せめてこの事を伝えてこよう。奴らもヴァーユの民ならば、死に方くらい自分で決めたかろう」
「急げ。結界が切れるまで間がない。俺たちは『モウバド』の発動準備にかかる」
「わかった」
 マグを中心とした戦士たちはラトの敷いた結界の中心近くに身を寄せ合っていた。フワルタクが駆け寄ると、彼らは一斉に顔を上げ、フワルタクに注目した。彼らはこの期に及んで戦意を喪失しておらず、一刻も早く回復して戦場に赴こうとしていることが、その力強い視線から読み取れた。フワルタクは少々気の重さを感じたが、時間もない。単刀直入に、そして簡潔にアシャの決定を伝えた。アシャが最後の賭けをすること、そのために結界はまもなく解除されること。
 島民たちはさすがに驚きはしたようだがほとんどうろたえることもなく、力強く了解の意を示して頷いた。
「わかった。俺たちは俺たちで何とかやってみる。少なくとも、足手まといにはなりたくないからな」
「そんなことになったら末代までの恥だ」
「俺たちの事は気にせず、集中してくれ」
 口々に行ってはフワルタクを追い払う仕草をする。フワルタクは苦笑して、アシャ達の元に戻った。
 五星宮の正面の庭には既にヤスナの手で魔方陣が完成していた。少しでも『モウバド』の効果を高め、その反動から身を守るため普段マグをあまり使わないダートやヤシュトも五星宮から運び出した法衣を纏っていた。
「これはお前の分だ、ワータ」
「わかった」
 ヤシュトが近寄ってきて、白い法衣を手渡したので、フワルタクはそれを頭から被った。いつもラトやその血族が着ている銀糸の縫いこめられた長衣だ。
「向こうはどうだった」
「気にせずやってくれとさ」
 ヤシュトは黙って頷き、フワルタクの肩に腕を回すと顔を寄せ、声を顰めた。
「頼みがある」
「なんだ」
 フワルタクも合わせて声を殺した。
「竜を倒したあとは、ビルシャナを頼む」
「お前、何を……?」
「『モウバド』が要求する代価ははっきりしないが、おそらくこの状態では命くらいしか払えるものがない。俺たちは皆死ぬだろう。この中ではお前が一番体力がある。一番生き残る可能性が高い」
「竜さえ倒せば、あのビルシャナ様の敵などいるものか。ましてやガルディアも居る。もし、お前たちが皆死んでしまえばペンタガータも崩れてアシャの力は失われる。俺など役には立たんさ。馬鹿なことを言わず、生き残ることを考えろ。お前は筆頭アシャだろうが」
 ヤシュトは自嘲的に笑った。
「竜というのはシン界の生き物だろう」
「……といわれているな。それがどうした」
「竜が攻めてきたということは、シン界がヴァーユを滅ぼそうとしているのだぞ。不可侵協定はどうなったのだ。ガルディアは今はウツカミとはいえ、シン界は奴の故郷だ。シン界の意向に従うのは容易い」
「まさかお前、ガルディアが島を見捨てたというのか」
「可能性の話をしている」
 フワルタクはため息をついた。
「お前たちはなまじガルディアの存在をぼんやりとでも感じることができていたから、ガルディアが居るだの居ないだのというのだ。ましてや、ヤシュト、お前はガルディア直々に蘇生された身だ。気になるのも当然かもしれん。だが俺はお前が言うように筋肉馬鹿でフラワシの扱いも不得手だ。当然、ガルディアのガの字も感じたことはない。それでもガルディアが島を守護していると生まれてこのかたずっと信じてきた。……ビルシャナ様がガルディアが共におられるとおっしゃるからだ。竜が攻めてこようがなんであろうが、ビルシャナ様がガルディアが共におられるというなら、俺は信じる」
 ヤシュトは沈黙した。フワルタクも口を閉じ、ヤシュトの顔を窺う。しばらくして、ヤシュトは顔を上げ、ガリガリと頭を掻いた。
「……そうだったな。俺がビルシャナを信じないでどうする」
 ヤシュトが思い切りフワルタクの背中を叩いた。
「目が覚めたぜ、礼を言う。ま、とにかく生き残ったらビルシャナ様を引き続き守れ」
「当然だ」
 フワルタクはじんわりと叩かれた感触の残る背中に手をやり、気を引き締めた。ヤシュトは黒い法衣をはためかせて自分の立ち位置に駆けて行った。
「ビルシャナ様!」
 ヤスナの声に振り向くと、ビルシャナが五星宮から駆け出してくるところだった。そのとき、突然大地と空気が震え、肌がびりびりと粟立った。幸運にもまだ生き残っていたらしい獣の咆哮が遠くに響いた。
「畜生、来やがった」
 ダートが吐き捨てる。結界に竜の炎が吐きかけられ、結界の一部にひびが入って闇の炎を結界内にもらし始めていた。ラトはひび割れを逐一補修していたが、ほころびの出る速度に修繕が追いつかない。
(そろそろ限界か)
 フワルタクは身構えた。ビルシャナも竜に気づき、走りながら背中の大剣を抜き放った。
「このまま一足に竜の鼻面まで飛ぶ! ラト、飛翔マグのタイミング合わせろよ!」
「は、はい!」
 ラトの返事をうけて、ビルシャナは竜とラトと自分を結ぶ直線を真っ直ぐ向かってくる。魔法陣に気づいた様子はない。アシャ達はお互い顔を見合わせて頷いた。

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