02. 筆頭アシャ ヤシュト

 ガルディアが身を隠している五星宮に向かって矢のように飛び出したビルシャナの後姿を、ヤシュトは自嘲的な笑みと共に見送った。
 ビルシャナがなびかせる長い銀髪はこの絶望的な戦況にあってもひたすら輝き、島が誇る砂浜のように白く静かな輝きを放つ肌は、それでいてどんな鋼でも傷を付けられない程に強靭に見えた。竜によって森と言う森、樹と言う樹が焼き滅ぼされてしまった今となっては、新緑のように澄んだ緑色のビルシャナの瞳は、絶望の闇に浮かぶ小さな灯火のようだ。それらは全て白の血族の典型的な特徴だが、ビルシャナに流れる血族の血はそれほど濃くはない。その証拠に、彼女は強大なマグで敵を平らげるよりも、自ら剣を振るい飛び回ることを好んだ。その点は、傍系とはいえ黒の血族に名を連ねているにも関わらず、もっぱら剣で戦うことしか知らない自分と少し似通っている。
 もっとも、白の血族は島の創始者であり片翼ながら偉大な翼種であったヴァーユの直系の血筋と言われている。そのヴァーユは降界したばかりのガルディアを見つけて契約させる程の人智を超えたマグであったのと同時に、それと同じくらい良く剣を操ったというから、いつも怯えてボソボソ喋る子供でしかない白の血族の当主ラトよりも、ビルシャナは余程血族の長らしいのかもしれない。
 一方黒の血族の祖である『共約のガルディナ』は、ガルディナになった以上剣はかなり使えたに違いないが、そのあまりのマグの強さに剣を振るうことはほとんどなかったと言うから、ヤシュトの戦型は混じり込んだ他の血によるものだろう。
 間違いなく言えることは、ビルシャナはガルディナになるために生まれてきた人間ということだ。歴史的に強いものが無条件に尊敬され、憧憬を集める島民性とはいえ、ビルシャナは桁外れに強いだけではなく、比類なき美しさを誇っていた。女ながらヤシュトを軽く上回る長身に、長い手足を大きく振り回して戦う姿には、島の誰もが熱っぽいため息を漏らさずには居れない。島中が、ビルシャナを愛している。そしてまた、幼い頃からこのヴァーユという島とそこに存在する生命の全てをこよなく愛していることにかけて、彼女の右に出るものは居なかった。
 先代のガルディナも悪いガルディナではなかった。十分に強かったし、ガルディアとの相性もそれほど悪くない。人格がどうかということはガルディナの資質として大した問題ではないが、その点に関しても取り立てて悪い点は見当たらなかった。しかしビルシャナはその全てにおいて、先代をはるかに上回っていた。ガルディナ選では先代ガルディナを含む多数のガルディナ候補を瞬きする間に血肉の塊に変える強さを見せ、その後の"慣らし"では通常すんなりいくガルディナでも丸一日から二日かかるガルディアとの調整を数時間で完了し、ガルディアとの相性が抜群であることを証明した。ガルディナになってからはビルシャナはそれまで島に抱いていた底知れぬ愛情を同じだけ、ガルディアに注ぐようになった。彼女ほどにガルディアを愛しているガルディナをヤシュトは知らない。
 ビルシャナがガルディナに登極した日、フワルタクと酒を飲みながら「登極後に結婚したガルディナはいない」という話をしていた際に、冗談交じりで「ビルシャナに結婚の事など聞いてみろ、笑って『私はガルディアと結婚したようなものだからな』と言われるのがオチだ」と言って二人で笑ったものだが、今となっては全く笑えない話だ。
 それだけガルディナがガルディアを大切にしていれば、その分フラワシの循環はよくなり、島はより豊かになる。島が生命にあふれ、輝いていることにおいて、島の歴史を紐解いても(島史が存在しないため、紐解くことはできないが)今以上の時代はなかったと断言できる。
 ビルシャナのガルディアへの愛情が、幼い頃島の森や動物を愛していたのと同じ無邪気なだけの物なのかどうか、ヤシュトには分からないが、少なくとも、ガルディアを失えばこの美しい島は全てを失い、永遠に豊かさの欠片も得ることができないことは確かであり、それを思うことの途方もない喪失感と恐怖は痛いほど理解できる。
 ガルディナからガルディアを奪ってはならないのだ。
「さて、ガルディナが居なくなったところで一つ、提案がある」
 結界の境界に絶え間なく押し寄せてくる紫の炎が小刻みに空気を震わせている。ラトがマグの詠唱を始めようと開いた口を閉じるのも忘れてヤシュトを見上げていた。フワルタクも怪訝そうにヤシュトを振り返る。
「提案?」
「そうだ。今のままのやり方じゃ埒が明かねぇ。作戦を考えないか」
 ヤシュトは崩れ落ちた瓦礫の上に飛び乗り、腰を降ろした。アシャ達の顔は炎で血色悪そうな色に照らされていて、彼らの間を椿の花弁のような火の粉と灰が風に乗って悠々と舞っていた。ぼんやりと光る軌跡は色さえ紫でなければ夜光虫のようだったが、あたりは虫一匹すら生き残っているとは思えない荒廃ぶりだ。
「そりゃ、お前にしちゃ珍しく正論だが、そんな時間の猶予はないぞ」
「ラト、結界はあとどれだけ持つ?」
「そんなに長くは……」
「お前なぁ、この間『オムツが取れるまでどれくらいかかった?』って聞かれたときも『そんなに長くは』って答えてなかったか? お前はこの先何年も結界を張り続けるつもりか?」
 ヤシュトは苛立ちも隠さずに声を荒げた。
「すみません、あと十分ちょっとです! ……僕が結界に専念すればの話ですが」
「ほら見ろ、話し合いなんてしている暇はない」
 フワルタクがあせった声と共に剣に手を伸ばしたとき、乱暴な着地音が轟いて、土煙の中からヤスナとダートが現れた。
「ヤスナ、ダート!」
 ダートはヤスナの肩を借りてフラフラと立っていた。右足の腿には服の上から黒い布が巻きつけられていて、引きずられるようにぶら下がっていた。ヤスナは目立った怪我はないようだが、全身の擦り傷と顔に浮かんだ疲労の色は隠しきれない。黒いビロードに光る貝殻が縫い付けられた長衣の裾が、すらりとした足が露出する長さに破られているのは、破り取った布をダートの足に巻いたからだろう。
 ヤスナもダートもアシャとしての実力に申し分ないが、彼らの得物は竜退治に向いているとは言いがたかった。ヤスナの召喚した雷が竜の眉間を直撃したにも拘らず、竜は少々眩しそうに瞬きを数回しただけで、再び炎を吐き出したのをヤシュトも見た。黒の血族で二番目に濃い血を誇る彼女の呼び出す雷は軽く大木を真っ二つに裂くというのに。彼らの傷は他に選択肢のない戦況を物語っていた。
「ずいぶん強引なやり方をしたらしいな」
 フワルタクも同じように感じたらしく、言葉に比して口調は重かった。ダートは気に障ったのか鋭い視線をちらとフワルタクに向けたが、実際に文句を口に出す気力まではなかったらしく、代わりに息を吐いた。
「ヤシュトに話をさせろ。見ての通り俺はもう限界だ。策があるなら話せ。お前たちはあの女と道連れで死ぬなら本望とか思ってるかもしれないが、俺は犬死はごめんだからな」
 ダートは崩れるように地面に座り込み、ヤシュトを睨んだ。
「竜の奴、強化マグのかかった俺の矢を何十本も背中に刺したまま元気に飛び回ってるぜ」
「アタシの短剣も何本か奴の背中に刺さったままで、回収もままならない。……もう一度飛翔マグを掛けてもらっても、意味があるとは……」
 ヤスナもダートの隣に腰をおろし、項垂れた。ヤシュトは肩をすくめる。
「さっきも聞いたとおり、ラトに飛翔マグを掛ける余裕はない。ここはガチだ」
「だが、飛翔マグが使えるマグどもはラト以外みんなフラワシ切れだぞ。……ああ、ヤシュトとヤスナは使えるんだったか」
 フワルタクがその場の面々を見回す。ヤシュトは片膝を抱きかかえ、顎を乗せた。
「飛翔マグはもう使わない」
「飛翔マグなしでどうやって……攻撃しなきゃ、倒せないんだぞ」
「そう。竜を倒さなきゃ、ラトのフラワシが底を突き次第結界が破れて、全員フラワシを使う側から使われる側になる」
「あの炎じゃ、ちゃんとフラワシに戻れるかも疑問だがな。闇にとり殺された者は、永遠に界隙の底をさまようというぞ」
「界隙で迷子にならないようにする策があるの?」
 その場の全員の視線をたっぷり集めた後、決意と共にヤシュトは顔を上げた。
「……『モウバド』を使う」

コメント

ご感想・ご指摘等ありましたらコメントお願いいたします。
名前(HN)の記入のみ必須です。無記名希望の方はスペースでも入れておいて下さい。

コメントは管理人が確認後反映されます。コメントを公開されたくない場合は「非公開希望」とコメント中に書いて下さい。
非公開希望且つ管理人からの返信が必要な方はメールアドレスを記入するのを忘れないで下さい。




保存しますか?